引退者らしい一日。松本清張全集。

  いい天気。 風あり。


  今日は、外掃除以外、昼寝と読書しかしませんでした。 昨日までが、やたらと、やる事が立て込んでいたのです。 今日の方が、引退者らしい一日でした。


  ≪松本清張全集62≫の、【数の風景】を読み終わりました。 この全集ですが、最初に、≪1≫を借りて来たのは、2020年の3月だったので、もう、一年以上、読み続けている事になります。 基本的に、2週間で2冊ですから、一年で、52冊くらい。 途中、緊急事態宣言で、借りなかった時期や、一冊ずつしか借りなかった時があるので、大体、計算は合っています。 それにしても、時間がかかる事よ。

7979 ≪HDC-2の写真 2021年3月 石仏の里・大平巡り⑦≫

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  折自と、HDC-2で送る、「石仏の里・大平巡り」シリーズです。 ⑦と⑧は、3月11日に行った所。

≪写真1≫
  「29 水神さん」。 道端にある石の祠ですが、注連縄、花立てもあります。

≪写真2左≫
  「30 三権現」。 地図での名前は、「30 山口三権現」になっています。 「山口」は、この辺りの地名のようです。 ここは、本格的な神社です。

≪写真2右≫
  鎮守の森というより、山の森なのですが、その中に、巨石が二つ、ありました。 これは、その内の一つ。 神社が近いと、巨石文化なのかと思ってしまいますが、大平から、徳倉山へ登って行く山道の途中にも、こういう巨石があるので、たぶん、自然のものだと思います。

≪写真3≫
  社が、三つ、あります。 三権現とは、「山王権現」、「白山権現」、「湯屋権現」の事だそうですが、どれがどれなのかは、分かりませんでした。 いずれも、鉄筋コンクリート、銅版葺き。

≪写真4左≫
  この神社には、独立した拝殿がありました。 この近辺では、珍しい形式です。

≪写真4右≫
  三権現のすぐ近くにある、「31 山口庚申堂」。 庭園風に造られた敷地にあります。 建物の、壁と屋根は、波板トタン。 中に何があるのかは分かりません。

≪写真5≫
  地図では、「31 山口庚申堂石仏群」とあるのですが、たぶん、これが、その石仏群です。 六地蔵や、石碑もあります。

≪写真6左≫
  「32 道祖神」。 公共の敷地のような場所にあります。

≪写真6右≫
  「33 道祖神」。 ここは、道端です。 コーンが置いてあるのは、車に突っ込まれた事があるからでしょうか?

トイレの布類洗う。石仏の里・大平巡りラスト。

  いい天気。 風あり。


  トイレの布類を洗濯。 1・2階、両方だから、結構、時間がかかります。 洗濯自体は、洗濯機任せなので、どうという事はないですが、外した後すぐに、トイレを掃除し、洗ってあるのをセットしなければならないのが、忙しない。 特に、一階は、母が、トイレを使うので、布類がない時間を最小限にしなければならないのです。


  午後から、折自で、大平へ。 今日で、「石仏の里 大平巡り」は終わりです。 ところが、私が持っている地図は、古いらしくて、地図の番号と、現地の名札の番号が、37以降、一致しなくなり、それらしい所を、片っ端から見て回ったものの、41が、どうしても見つからず、結局、諦めて帰って来ました。

  夜になって、ネットで、現在配布されている地図を見つけ、突き合わせてみたところ、前回の最後だった、「37 道祖神」から先は、

38 圓教寺
39 政戸庚申堂
40 道祖神
41 諏訪神社
42 道祖神
43 道祖神
44 馬頭観音
45 道祖神

  である事が分かりました。 「41 諏訪神社」ですが、寺や神社では、名札が立っていない所があるので、分からなかっただけで、諏訪神社には寄って来たから、全て、踏破していた事が分かりました。 やれやれ、2時間かけたのが、無駄にならなくて済んだか。

  それはさておき、神社や祠で、番号に入っていない所が、結構ありました。 石仏がないからですかね? いや、石仏がなくても、番号に入っている神社もあったような気がしますけど。 選んだ基準が、よく分からない。

7978 ≪松本清張全集 50 火の路≫

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≪松本清張全集 50 火の路≫

松本清張全集 50
文藝春秋 1983年3月25日/初版 2008年10月25日/4版 
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作を収録。


【火の路】 約392ページ
  1973年(昭和48年)6月16日から、1974年10月13日まで、「朝日新聞朝刊」に連載されたもの。 連載時の題は、【火の回路】。


  飛鳥地方を旅していた歴史学者の女性が、通り魔に襲われた男性を、たまたま助け、輸血までしてやる。 その男性は、かつて、優秀な歴史学者だったが、今は学問を捨て、保険の外交員をやって口を糊していた。 彼女は、明日香の石像文化が、ペルシャ由来ではないかという学説を、専門誌に載せ、それを読んだ元学者の薦めで、イランへ、見学を兼ねた旅行へ出かける。 一方、元学者の周囲で、変死する者が出て来て・・・、という話。

  作者本人が、そう書いていますが、これは、小説の体裁を取った、論文です。 明日香の石像文化が、渡来ペルシャ人の影響によるものであろうという説を、世に問う為に書かれたもの。 後半、ちょぼちょぼと、犯罪が絡んで来ますが、推理小説では全くなく、犯罪小説としても、全く評価できません。 作者本人が、「論文だ」と言明しているのだから、批判のしようがないわけですが。

  日本の古代史と、イラン・ペルシャの古代史に興味がある人なら、大喜びの、大興奮で食いつくと思いますが、そうでない読者にとっては、残念ながら、小説として楽しむ事はできません。 たぶん、読んだ端から、頭の上へ蒸発して、消えて行くという結果になると思います。 松本さんは、このカテゴリーに関しては、学者級の知識・情報・アイデアをもっていたようで、専門的過ぎて、門外漢を寄せ付けないんですわ。

  とはいえ、専門でなくても、おおまかに、歴史が好きな人なら、たっぷり時間をとって、じっくり腰を押し付けて読んでいけば、もしかしたら、嵌るかも知れません。 実録物や、企業物とは違って、歴史物は、読めば、勉強になるところはありますし。 それにしても、硬い・・・。

  これを連載した朝日新聞も、酔狂ですなあ。 うちも朝日なので、連載時、家の中に、その新聞があったわけですが、1973・74年というと、私はまだ、9・10歳でして、新聞小説は、読んでいませんでしたねえ。 どうせ、この硬さでは、一回分読むのも、無理だったでしょう。

買い出し。パズル。

  いい天気。 風あり。


  朝一、車で一人で、近所のスーパーへ買い出し。 レジ袋2つ分に、溢れるほど、買って来ました。 帰って、買ってきた物を、全て、浄化。


  新聞パズル。 「数独」は難易度3で、簡単。 「推理」の方が、難易度5というのは初めてでした。 確かに難しい。 しかし、何とか、解けました。


  午後、折自で出かけようかと思っていたのですが、風があったので、やめました。 昼寝の後、パソコン作業。 今日は、それで、おしまい。

7977 ≪EN125-2Aで函南畑毛・三寶大荒神 / 磨崖仏≫

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  谷戸山運動場から、南東の方に回り込んで行ったら、「三寶大荒神」という神社に着きました。 もちろん、行き当たりばったりで見つけたわけではなく、地図に、「磨崖仏」と載っていたのを見て、ここを探したのです。

≪写真1≫
  道路は、傾斜がきつく、バイクは停められません。 やむなく、私道のようでしたが、神社の入口への取り付け道路に停めました。 こういう時には、大急ぎで、戻って来る必要があります。 わざわざ、道路の持ち主の家を訪ねて、許可を得たりするより、さっさと見て、さっさと引き揚げる方が、迷惑になる度合いが低いと思います。

≪写真2≫
  木製の鳥居。 右側の解説板は、「磨崖仏」のもの。 「函南町指定・有形文化財」で、1382年、南北朝時代に彫られたとあります。

≪写真3≫
  これが、磨崖仏が彫られた、大岩。 写真では分かり難いですが、二つに割れています。 いつ割れたのかは不明ですが、磨崖仏が彫られた後である事は確か。 割れた右側部分の下の方に、梵字が彫られています。 近くで見ると、くっきりとしていて、機械で彫ったかと見紛うばかりの、精確な仕事でした。

≪写真4左≫
  これは、割れた左側部分に彫られた、地蔵菩薩の姿。 写真では、薄くて分かり難いですが、肉眼で間近に見た時には、大変、繊細な印象でした。

≪写真4右≫
  三寶大荒神の社殿。 人間が入れるサイズです。 三寶大荒神と磨崖仏が同居しているのは、神仏習合時代の名残りでしょう。 磨崖仏の岩にも、注連縄が張ってあったし。

≪写真5左≫
  バイクを停めた所で咲いていた、椿。 赤。

≪写真5右≫
  同じく、紅白。 一本の木に、二種類の花が咲いているように見えましたが、二株なのかもしれません。 根元を確かめて来ませんでした。

週末作業。

  いい天気。 風もなし。


  金曜なので、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、亀の水換え。 更に、外掃除。


  いい天気でしたが、午後は、昼寝と読書で過ごしました。 昨日まで、立て続けに出かけていたので、今日は、家にいようと思って。 ≪松本清張全集62≫の、【数の風景】を読み始めたのですが、久しぶりに、面白い作品に当りました。 こうでなくては。