8472 ≪EN125-2A補修 ヤフオクでウェッジ・ベース / ポジション・ライト不灯にする≫

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  バイクのヘッド・ライトが、ウインカーと一緒に点いていると、暗くなったり明るくなったり、息をするようになりました。 バッテリーの使用量が、充電量とカツカツになってしまっているのでしょう。

  ハロゲン球を、LED球に換えようかと思ったのですが、その場合、ポジション・ライトも、LED球に戻さないと、色味が違ってしまいます。

≪写真1≫
  これが、中古でバイクを買った時に、ポジション・ライトに付いていた、LED球です。 標準では、ウェッジ球という電球ですが、前の持ち主が、このLED球に換えてあったのです。 ベース部分が壊れていて、すぐに、外れてしまいます。

≪写真2左≫
  ヤフオクを調べたら、ベース部分だけで売っている事が分かり、送料入れても、150円と安かったので、早速、落札しました。 それが、7月13日の事。 翌14日には、神奈川県平塚市から発送されたのですが、距離的には、すぐそこなのに、なかなか、届きません。

  「クロネコDM便」という、サイズ制限あり、追跡あり、補償なし、郵便受け受けに入れられる方式。 なぜ、届かないのか、ヤマト運輸のサービス・センターに問い合わせたところ、私が住んでいる沼津市が、日本郵便に配達業務を依託している地域に入っており、15日に、日本郵便に引き渡された後で、3連休に入ってしまったせいで、連休明けでなければ、配達されないとの事でした。

  届いたのは、発送から、5日後の、7月19日でした。 長かった。

  普通の封筒に、クロネコDM便のラベルが貼ってあります。 裏には、出品者の方の、名前・住所・電話番号が入ったスタンプが押してありました。

≪写真3右≫
  中身。 小さい密封ビニールに入れ、更に、プチプチ・ビニールで包んでありました。 防水・緩衝、完璧ですな。

  というわけで、ようやく届いたウェッジ・ベースですが、先に、ポジション・ライトを点かないようにして、バッテリーの負担が減るかどうかを確かめようと思って、まだ、使っていません。

≪写真4≫
  7月18日に、ポジション・ライトから、電球を取り除き、かつて、セルボ・モードのヘッド・ライトを中古で買った時に付いていた、切れたウエッジ電球を取り付けました。 これなら、スイッチ・オン状態でも、点灯しないので、消費電力が抑えられるはず。

≪写真5≫
  現在、付けてある、ヘッド・ライトのハロゲン球は、35ワット。 ポジション・ライトのウエッジ電球は、5ワットだったから、合計40ワット使っていたわけですが、ポジション・ライトを点かないようにして、5ワット分少なくなったので、バッテリーの負担が軽くなって、ヘッド・ライトが息継ぎをしなくなれば、それで良し。

  ちなみに、≪写真1≫のLED球も、5ワットなので、ウエッジ電球から、そちらに換えても、消費電力は変わりません。 ポジション・ライトを、LED球にするなら、ヘッド・ライトも、LED球にする必要がありますが、もし、ポジション・ライト不灯で、息継ぎが解決するなら、それでいいです。 どうしても、LED球にしたいわけではないですから。

その後話。物不足インフレ。

  曇りの予報でしたが、ほぼ晴れました。 今日、プチ・ツーに行けば良かった。 もしくは、布団を干せば良かった、と思いましたが、後の祀り。


  外掃除。 昼寝。 読書。


  その後話、あれこれ。

  7月6日、車検の時に傷めた足ですが、左足の裏の皮剥けは、完全に治りました。 綺麗に元に戻るものですな。 剥がれた両親指の爪は、新しい爪が、まだまだ、伸びてきません。 こんなに伸びないものか。 この調子では、半年以上かかるのでは? 痛みは、全くないです。

  8月3日に、アマゾンに注文した、バイクのヘッド・ライト用のLED球ですが、まだ、届きません。 お届け予定日が、「8月25日から、9月15日の間」となっているから、まだまだ、序の口か。



  話はガラリと変わりますが、西側諸国の中央銀行、及び、政府の面々よ。 いくら金利を操作しても、このインフレの大波は、解消せんぞ。 中国やロシアに対する経済制裁で、様々な品目の輸入ができなくなり、物不足が原因で起こっているインフレですから、金利操作程度では、果物ナイフで、鯨を解体するようなもの。 全く、力が足りません。

  数字で説明するなら、物不足で起こるインフレが、10000くらいの影響力を持つとしたら、金利操作で戻せるのは、1とか、10とか、そのレベルであって、焼け石に水以外の何ものでもないです。 日本で、延々と、超低金利政策を続けて来たのに、人為的なインフレを引き起こすのに、完全に失敗していたのを見ても分かる事。 物不足になったら、2パーセントのインフレ目標なんて、たちまち、突破してしまいましたけど。

  アメリカの場合、そもそもは、トランプ政権が始めた、中国製品の高関税化が発端ですが、「中国からの輸入品を制限すれば、アメリカ国内に雇用が戻ってくる」というのは、世界経済のメカニズムを無視した、大変、軽薄な見通しでして、そんな事には、絶対なりません。 高価な品ならいざ知らず、中国から輸入していたのは、安い価格帯の製品ですから、それを、アメリカ国内で作ったら、賃金が高い分、値段が高くなってしまい、全く採算が合わなくなるのは、よほどの経済音痴でも分かる事だと思います。

  たとえば、バケツのような単純な製品を、アメリカで作ったとして、10年経っても、中国からの輸入品と、価格で戦えるところまで、値段を下げられないと思います。 「少々高くても、国産品を買う」という人がいたとしても、10倍も値段の差があれば、さすがに、安い方を選ぶのでは? インフレが続けば、尚の事です。

  1990年代の半ば頃から、物のやり取りは、世界規模になっていて、今更、一部の国の都合で、変える事はできないのです。 人体に譬えれば、血管網の血流を、部分的に止められないのと同じです。 無理に止めたら、下流の細胞が壊死してしまいます。 アメリカが、中国やロシアに対してやっている事は、自分の体を壊死させているのと同じ、と言ったら、このインフレの恐ろしさが、少しは想像できるでしょうか。

「冷戦時代には、共産圏に対して、ずっと経済制裁をしていたが、アメリカ経済は健全に発展して来たではないか」

  その頃とは、世界経済の構造が変わっているのです。 言わば、冷戦時代は、人体が、二つ、もしくは、それ以上あったわけだ。 今のように、世界全体がリンクしていたわけではありません。 今、同じ事をやれば、体は一つしかありませんから、血流を止めた先は壊死するだけです。

  それを理解する前に、西側諸国は死んでしまいそうだな。 残念ながら、日本も含む。 日本のインフレが、欧米ほどではないのは、中国との貿易を、ほんの一部しか止めていないからです。 頼むから、軽々しく、アメリカに同調して、中国製品に高関税をかけるなんて言い出さないでくれよ。 たちどころに、壊死してしまうぞ。

8471 ≪EN125-2Aで西沢田・子の神神社②≫

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≪写真1≫
  実はここ、前方後円墳があります。 沼津市に、前方後円墳は、三つしかありませんが、その内の一つ、「子の神古墳」なのです。 社殿の東側の、こんもりした墳丘が、後円部です。

≪写真2≫
  こちらが、社殿の背後に当たる、前方部。 かなり、削られています。 おそらく、社殿を造る為に削ったのだと思いますが、元は、人の墓ですから、随分と思い切った事をしたものです。 被葬者よりも、神の方が大事だったんでしょうな。 私だったら、神社は他へ移し、前方後円墳を復元して、歴史公園に整備しますが・・・。

≪写真3左≫
  社殿は、拝殿と本殿が、廊下で繋がれているタイプ。 廊下は割と長い方で、窓があります。

≪写真3右≫
  沼津市教育委員会による、「子の神古墳」の解説板。 平成7年(1995年)に立てられたもの。 ここでは、神社の事を、「子の神神社(ねのかみ・じんじゃ)」と表現しています。 古墳は、「古墳時代後期初頭」のものと推測されているとの事。 発掘調査がされていないそうなので、詳しい事は分からないのでしょう。

≪写真4≫
  社殿の横まで入れて停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトが、ウインカーと一緒に点けると、息をするようになり、この日は、ポジション球を点かないようにして、試し乗りをしました。 境内が暗かったので、ほんの数秒、点灯試験をしてみましたが、やはり、息をします。 しばらく、様子を見てみます。

≪写真5≫
  神社の前から、少し東へ行った所で、眺望が開けていました。 沼津市街地が見えます。 右手、遠くの山並みは、沼津アルプス。 すぐ下に、トウモロコシ畑があります。 なるほど、この眺めが欲しくて、ここに古墳を造ったのだと、納得。

買い出し。兄来る。盆棚片付け。バイクで中東・水神の祠。保険会社の通知。

  晴れ間のある薄曇りでしたが、気温は高くなりました。


  朝一、母と車で近所のスーパーへ買い出し。 トレペ1パックの他、レジ袋5個分買って来ました。


  外掃除の後、玄関ポーチに白椅子を置き、その上に、兄にやる菓子と郵便物を置きました。 買って来たものを浄化している間に、兄が来て、交換して行きました。 兄が持って来たのは、羊羹の詰め合わせのようです。 といっても、用意したのは、兄嫁に決まっていますが。 兄夫婦は、墓参りだけして、帰ったのだと思います。 確認したわけではありませんが。


  昼飯の後、盆棚の片付け。 台所に運んだ物を、母に片付けてもらおうと思ったら、何もしようとしません。 全部、私にやらせるつもりでいるのです。 いやあ、衰えた衰えた。 もっとも、ああしろこうしろと指図したがる意欲は健在なのですが。


  ほんの10分ほど、昼寝して、午後1時頃から、バイクで出かけました。 明日から、天気が下り坂なので、致し方ない。 風がありました。

  根方街道に出てから、曲がる交差点を間違えたものの、テキトーに走って、新幹線の北へ出たら、目的地に着きました。 こんなケースは、大変、稀です。 地図には、神物仏物のマークしかありませんでしたが、行ってみたら、水神の祠でした。 中東の公園と、グラウンドが隣接していました。 「中東」は、その地区の名前で、「ちゅうとう」ではなく、「なかひがし」と読むのではないかと思います。


  今日は、かなり、動きました。 疲れた。


  生命保険の会社から、毎年8月5日頃に、契約内容を報せる封書の通知が来ているのですが、今年は来ません。 そこそこの金額を一括払い込みしてあるので、通知が来ないと、大変、不安になります。 毎日、郵便受けを見に行っては、落胆を繰り返していたのですが、いよいよ、痺れを切らし、今日、プチ・ツーから帰って来てから、電話してみました。

  先に、機械音声オンリーの方にかけたら、「2・3日中に、契約内容の書類」を送るとの事。 それはそれでいいとして、なぜ、通知が来ないかが分からないので、人間が出る方にもかけてみました。 その結果、分かったのは、「通知は、9月中に、ハガキで来る」との事。 つまり、向こうのやり方が変わったんですな。

  それならそうと、先に報せてくれないと、来るはずの通知が来ないのでは、不安になるではありませんか。 前倒しならいいですが、後ろ倒しでは、こちらは、何も知る事ができません。 わざと不便にして、オン・ライン確認に切り替えさせようという魂胆でしょうか。

8470 ≪EN125-2Aで西沢田・子の神神社①≫

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  2022年7月18日に、バイクで、住宅地図で見つけた、鳥居マークを目的地に、中沢田へ出かけて行ったのですが、見つけたものの、個人宅の中にある神社で、入れませんでした。 やむなく、すぐ近くにある、「子の神神社」へ向かいました。 以前に、折自で来た事があります。

≪写真1≫
  丘陵地帯。 住宅地と森が混在した所にあり、全体を写す事ができませんでした。 これは、鳥居の正面。 手前は、畑になっています。

  石製鳥居の名額には、「子の神社」とあります。 「ねのかみ・しゃ」なのか、「ねの・じんじゃ」なのか、不明。

≪写真2左≫
  鳥居の横にあった木。 この幹の質感が、たまりませんな。 エロチックだ。

≪写真2右≫
  手水場。 庭の蹲用の石です。 前面に、右から、「奉納」と彫ってあります。 蛇口あり、ハンドルなし。 水が溜まっているところを見ると、排水設備なし。

≪写真3≫
  社殿。 鉄筋コンクリートではなく、木造モルタル塗りなのでは? 瓦葺き。 扉のガラスが、一部抜いてあって、中に、賽銭箱が置いてあります。

≪写真4左≫
  石燈籠。 これは、古い方で、一基しかありませんでした。 火袋に、修理跡があります。 なるほど、塗りつぶしてしまえば、それ以上、壊れませんわな。

  柱を見たら、「寛延二龍舎巳已年九月吉祥日」とありました。 中間部分の「龍舎巳已」は、「星宿るは、巳已(の年)」という意味らしいですが、よく分かりません。 とにかく、「寛延二年」なんでしょう。 1749年。 九代将軍、徳川家重の治世。 だいぶ、古いな。

≪写真4右≫
  こちらは、新しい石燈籠。 二基、対で、ありました。 昭和44年、つまり、1969年に、氏子の御夫妻が、金婚式の記念に奉納したもの。 そういう理由の奉納というのも、ありなんですな。 すでに、53年も経っているわけですが、まだまだ、新しい感じがします。

暑い。黄瓜。

  いい天気。 暑さが戻って来ました。


  落ち葉が多く、外掃除に手間取りました。 百合も、そろそろ、終わりか。


  パソコン作業。 他に、昼寝、読書。


  盆棚に供えている、胡瓜の馬ですが、腐って、片方の端から、黄色くなって来ました。 黄色くなるから、「黄瓜」で、キュウリなんですかね? 例年、こんな事はないんですが、胡瓜が古かったのか、はたまた、暑すぎるのか。

  明日の朝、最後のお膳を上げ、その後、片付けます。 といっても、明日は買い出し日だから、盆棚を片付けるのは、午後になります。 母は、「明日、胡瓜を買って来て、それに換えてから、片付けろ」というのですが、何だか、食べ物を粗末にしているような気がしますねえ。

8469 ≪うちの自転車⑥ 「ナショナルのサイクリング車①」≫

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  この写真は、1982年(昭和57年))の4月頃に撮ったものと思われます。 私は、高校3年生になったばかりで、18歳になる年ですが、誕生日前なので、この時はまだ、17歳です。 撮影者は、間違いなく、母。

  学生服を着ているのが私で、もう一人は、父です。 父は、まだ、前髪がありますねえ。 この時、52歳になる年だから、今の私より、若かったんですな。 それなら、毛もあるか。

  場所は、自宅の車置き場。 写っている車は、父の物で、5代目コロナ後期型です。 1978年、私が中学1年の終わり頃から、1987年の3月まで、「うちの車」でしたが、中学・高校では、もう、家族でドライブに行く事も稀になり、頻繁に乗った記憶はありません。 1986年に、私と母が免許を取り、それぞれ、この車を、一回だけ運転しました。


  車はどーでもいーとして、自転車ですな。 ほんのちょっとだけ、写っていますが、私が、1980年3月、高校に入学する直前に、通学用に買ってもらったサイクリング車です。 ナショナル製。 また、有名メーカー品に戻ったわけだ。 これは、結構高かったのでは? 確実に、3万円以上は、したと思います。

  母の知り合いの自転車店で買ったのですが、買う時にそこへ行った記憶がありません。 もしかしたら、母がカタログを貰ってきて、私が選び、母が注文して、家に届けて貰ったのかも知れません。 全然、覚えていないから、100パーセント、推測ですけど。 母は覚えているかも知れませんが、あまり、訊きたくないのですよ。 昔の事を思い出そうとすると、脳に負担がかかるようで、「そんな事は忘れた!」と言って、怒るのです。


  通学を始めて間もない頃、片かけスタンドが立ち過ぎていて、反対側に倒れてしまうので、母に自転車で先導して貰って、その店に行き、店主に見せたのですが、いかにも、「自転車屋の偏屈オヤジ」という人相風体の爺さんで、「こりゃー、引っ張って、曲げるしかねーよなー」と、「他に直しようがないんだから、自分で直せよ」と言わんばかりの口調で呟きながら、力任せにスタンドを曲げてよこしました。

  あと、いつだったか忘れましたが、まだ、高校生だった間に、前ブレーキのワイヤーが切れてしまいました。 その頃、すでに、近所に、ホーム・センターが出来ていて、自転車コーナーもあったのですが、この自転車のブレーキ・ワイヤーは、ナショナル独自の特殊な物で、ホーム・センターには置いてありませんでした。

  で、母に、その自転車店に電話してもらったところ、「自転車を持ってくれば、すぐに換えてやる」と言うので、翌日に、私一人で出かけて行きました。 二つ返事だったから、嫌な予感がしたのですが、案の定、店主の爺さんが、普通のワイヤーを持って出て来ました。 「こんなのも、自分で換えられないのか」という、能なしを見下すような視線を私に浴びせながら、交換しようとしましたが、できるわけがありません。

  「なんだ、こりゃ、違うじゃねーか」と、ブツブツ言って、「問屋から取り寄せるから、届いたら電話する」という話になり、私は、そのまま、引き返す事になりました。 完全な無駄足です。 前日、母に電話してもらった時に、普通のワイヤーではない事を伝えてあったんですがねえ・・・。 どうせ、人の話なんて、ろくさっぽ、聞いちゃいなかったのでしょう。 もちろん、「すまなかった」の一言もなし。

  子供の頃から、自転車店のオヤジというのは、どの店でも、ろくなもんじゃないと知っていましたが、この爺さんにも呆れました。 社会から尊敬を受けていないという、劣等意識の裏返しだと思うのですが、客を人とも思っていないんですな。 誰も、「揉み手で、お世辞を言え」なんて、無茶な要求はしてないのですから、対等な立場で、ごく普通の接客ができないもんですかね?

  最終的に、交換して、直ったわけですから、その後、もう一回、その店に足を運んだはずですが、その時の記憶は、完全に失われています。 「直るまでの間、前ブレーキなしで、よく、乗っていたなあ」と思うかもしれませんが、私は、その当時、「後ろブレーキだけあれば、充分だ」と、勘違いしていたので、大して重大な問題だと思っていませんでした。


  この写真は、改造後なので、原形を留めていませんが、元は、ホリゾンタルのダイヤモンド・フレームに、セミ・ドロップ・ハンドルの、普通のサイクリング車でした。 色は黒ですが、普通の黒ではなく、パール・マイカみたいに、キラキラ光っていました。 豪勢な塗装でしたねえ。 泥除けは、スチールのメッキ。

  もう、電飾の時代ではなく、リム・ダイナモのライトが、2灯、付いていただけ。 ライトを付ける為の、細丸棒メッキのフレームが付いていました。 荷台も、細丸棒メッキで、左右を折り畳んで、荷物を載せない時には、細く出来るようになっていました。 今考えると、重くなるので、感心しませんが、細身でスポーティーなイメージと、実用性を両立させようとしたんでしょうな。

  更に、オプションのような形で、折り畳み式のサイド籠が付いていました。 荷台より細い丸棒の格子で、黒塗装。 学生鞄が入れられるようになっていて、当時の、男子用通学自転車では、標準装備でした。 前籠がなかったから、必需品だったんですな。 サイクリング車に、前籠なんて、ダサくて、冗談ではなかったわけです。

  変速ギアはありましたが、5段だったか、6段だったか、忘れてしまいました。 シフト・レバーは、ダウン・チューブの上の方に、小指くらいの長さの、簡素な金属製のものがついていました。 ハンドルから手を離さなければならないので、シフトする時には、不安定になって、怖くてねえ。 もっとも、通学路で坂といったら、橋くらいのものでしたから、ほとんど、シフトせずに、登り坂では、立ち漕ぎしていたような記憶があります。


  3年の時に、割と仲良くなったクラスメートから、「高校になってから、セミ・ドロップ・ハンドルの自転車を買うなんて、珍しいな」と言われたのを覚えています。 確かに、その通りなんですが、私としては、ドロップ・ハンドルのサイクリング車を買うつもりは、全くありませんでした。 本格的なサイクリングの趣味がなかったので、本格的なサイクリング車に乗るのが、気恥ずかしかったのです。

  ちなみに、そのクラス・メートは、ドロップ・ハンドルの、今のロード・バイクに近いサイクリング車に乗っていました。 オレンジ色だったかなあ。 ホリゾンタルのダイヤモンド・フレームで、泥除けも付いていましたけど。 通学に使う場合、雨の日も乗るわけですから、どんな自転車でも、泥除けは要るのですよ。


  そうそう、雨といえば、当初、雨の日は、バスで通うつもりでいたのですが、最初に雨が降った時に、バスで行ったら、混むわ混むわ! ギュウギュウ詰めの上に、濡れた傘を押し当てられて、腰から下が、びしょびしょに・・・。 もー、話にもならない有様。 一回で懲りて、その後は、雨の日でも、合羽を着て、自転車で通いました。 

  当時の合羽は、ビニール・コートした布のような材質で、蒸れて、不快なものでした。 ゴアが出てくるのは、1990年頃から。 透湿繊維が出てくるのは、1995年以降だと思います。 学生ですから、少々蒸れても、気にしないんですが、雨が顔に当たるのは困りました。 自転車通勤歴の長い母が、「サンバイザーを被ってから、合羽のフードを被れば、濡れない」というので、それを実行していました。


  この自転車に関する記憶は、まだ、かなりあるので、次回に続きます。 それにしても、この写真からだけでは、何も分かりませんなあ。 もう一枚、ほぼ、同じ時に撮ったと思われる写真があるのですが、それは、次回に出します。 先に言ってしまうと、その写真も、改造後なので、原形の説明には、何の役にも立ちません。 原形の時に、一枚も写真を撮っていなかったというのが、口惜しい限り。