7250 ≪金田一耕助のモノローグ≫

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≪金田一耕助のモノローグ≫

角川文庫
角川書店 1993年11月/初版
横溝正史 著

  三島市立図書館の書庫にあった本。 横溝正史ブームが終わってから、10年以上経って、出されたわけですが、これも、旧版の内です。 表紙は、最盛期のそれとは、タッチが些か異なるものの、やはり、杉本一文さんの手になるもの。 外見だけでなく、中身も綺麗な本で、ほとんど、読まれない内に、書庫行きになってしまったものと思われます。 1993年では、図書館で横溝作品を借りる人は、減っていたでしょうなあ。

  徳間書店の雑誌、「別冊 問題小説」に、1976年(昭和51年)夏季号から、1977年冬季号まで、連載されたもの。 「金田一耕助のモノローグ」というタイトルですが、中身は、横溝正史さんの、回顧録です。 しかも、半生記といった長い期間を対象にしたものではなくて、1945年3月から、1948年7月までの、3年半に限った内容です。 本文は、122ページくらい。

  なぜ、この3年半なのかというと、横溝さんは、戦争末期になって、東京・吉祥寺から、岡山県の桜という山村へ疎開し、3年半、そこで暮らしていて、その時の思い出を綴ったのが、このエッセイ集なのです。 日記の体裁ではないから、読み易いです。 ただし、一部、他の所へ先に書いた文章からの再録があり、内容が重複していて、まどろっこしいところもあります。

  東京から岡山へ移った、主たる理由が、「島を舞台にした本格推理小説を書く為に、瀬戸内海に近い土地に行ってみたかったから」、というのが、意外。 横溝さんは、戦争が激しくなると、作品を発表できなくなっていたので、東京にいても、意味がなかった様子。 で、親戚から、「疎開して来い」と誘われたのをいい潮に、一家総出、家財丸ごと、引っ越したのだそうです。 鉄道省にコネがある知り合いがいて、家財を運ぶのに、貨車を一輌、借りたというのですが、そういうのも、アリだったんですねえ。 戦争末期だというのに。

  親の出身地が近くだった関係で、余所者扱いを受ける事もなく、「先生、先生」と慕われて、村の人達には、大変良くしてもらったのだとか。 闇で食糧を買うのが嫌で、畑と農具を借り、ジャガイモなどを作っていたらしいです。 結核もちなのに、妙に逞しい。 精神力が横溢していたんでしょうか。

  執筆を始めるのは、戦後から。 この時期に書かれたのが、【本陣殺人事件】、【蝶々殺人事件】、【獄門島】など。 横溝さんが、戦後すぐに、思う存分、本格推理に取り組めたのは、都会から離れた山村にいたかららしいです。 しかし、勝手に書いて、溜めておく事はせず、あくまで、注文が来てから、書いていたというのは、モチベーションの問題なのか、当時の出版事情に合わせていたのか、分かりません。 元編集長だけあって、枚数を注文に合わせるのには、大変、心を砕いていた様子。

  おっと、こんな調子で、内容紹介して行くと、全部書き写す事になってしまいかねないので、このくらいにしておきましょう。 重複にさえ目を瞑れば、とても、読み易い文章で、スイスイと進み、一日で読み終わります。 ただ、この回顧録を楽しむ為には、横溝作品を、かなり読んでからでないと、興味が湧いて来ないと思います。