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6501 ≪どっきりドクター・さすがの猿飛・GUGUガンモ・みゆき≫

2017/03/26 11:03
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  2月に捨てた漫画です。

≪どっきりドクター≫
  週刊少年サンデーで連載されていたもの。 全4巻。 初版は、1巻が、1981年11月、4巻が、1982年5月。 発明狂の医者が主人公の、ナンセンス・ギャグ漫画です。

  知る人ぞ知る、傑作でして、当時の細野不二彦さんの作品の中では、最も面白かったです。 ただ、その事を、作者本人が分かっておらず、≪さすがの猿飛≫の方が、人気があると思っていて、そちらに本気を出し、こちらは、「まあ、大体、こんな話でよかろう」程度の力の抜き方だったように見えました。 たぶん、それが良かったのでしょう。 型に囚われず、何でもアリで、実に楽しい作品でした。

  ≪さすがの猿飛≫が、1982年に、テレビ・アニメ化された時、エピソードが足りなくて、≪どっきりドクター≫の話を借りた関係で、ドクター自身は、早々とアニメに登場していたのですが、≪どっきりドクター≫の方も、1998年になってから、単独でアニメ化されました。 連載終了後、16年も経ってから、アニメ化されたのは、やはり、好きな人がいたからでしょう。 線が細くて、美しい絵で、いかにも、手描き末期のアニメらしかったです。


≪さすがの猿飛≫
  週刊少年サンデー増刊号に連載されていたもの。 私が持っていたのは、3巻までですが、もっと続いたと思います。 初版は、1巻が、1982年6月、3巻が、1982年10月。

  ≪どっきりドクター≫のファンだったから、同じ作者という事で、義理で買っていました。 主人公の肉丸のキャラが分かり難く、結局、好きになれないまま、離れてしまいました。 魔子ちゃんは、いいキャラだったんですがねえ。

  上に書いたように、82年にアニメ化されましたが、そちらは、ひっでー代物で・・・、いや、好きだった人もいると思うから、貶すのはやめておきます。


≪GUGUガンモ≫
  週刊少年サンデーで連載されていたもの。 私が持っていたのは、1巻だけですが、もちろん、もっと続いたはず。 初版は、1983年1月。 ≪どっきりドクター≫の後に連載された作品なのですが、対象年齢が下がったせいで、私には、ついていけませんでした。 ほとんど、興味がなかったくせに、1巻だけでも、よく買ったものです。 

  84年に、アニメ化されて、当時、小学生だった人なら、大概の人は、見ているはず。 私は、一回も見ませんでしたけど。


≪みゆき≫
  少年ビッグコミックに連載されたものですが、コミックスは、「マンガくんコミックス」になっています。 私が持っていたのは、2冊ですが、これも、もっと続いたはず。 初版は、1巻が 1981年2月、2巻が、81年7月。 「みゆき」という名前の美少女が二人出て来て、主人公の少年と、複雑な三角関係になる話。

  ラブコメの代名詞みたいな作品ですな。 ≪タッチ≫と違って、スポーツが絡んでいないので、軟弱極まりないのですが、当時は、こういう感じの漫画は、もー、いくらでも、あったように思います。 それらの中では、最高クラスだったのでは? コメディーより、ラブの方が強かったので、ギャグ漫画好きの私は、2冊で、買うのをやめてしまいましたけど。

  90年代に入ってから、職場でペアになっていた青年に、≪みゆき≫が、どういう結末になったのか、教えてもらったので、それは知っているのですが、自分で読む気にはなれませんでした。 その頃には、もう、あだち允さんの絵に、魅力を感じなくなっていたのです。
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恐るべき置き土産。

2017/03/25 21:32

  午前中は、週末作業。 その前に、押入れクローゼットから出した本棚を解体し、束ねて、プレハブに運びました。 来週末の埋め立てゴミの日までに、使い道が決まらなかったら、捨てるつもり。


  今日は、燃やすゴミの当番日だったのですが、私が行くつもりでいたら、母が行くというので、好きにさせました。 ところが、こんな日に限って、回収車がなかなか来ず、母は、一時間以上、うちの門の所でうろうろしていました。 しかも、11時過ぎに、ようやく来たと思ったら、土産を置いて行ったとの事。 ほれ見た事か。 思いつきで、普段と違った事をすると、ろくな事がない。

  大きな丸太で、私も、見に行きましたが、丸太というより、根を切った切り株と言った方が、イメージ的に近いものでした。 一人で持ち上げられるような物ではなく、おそらく、車で持って来て、転がし落して行ったのでしょう。 上下に一箇所ずつ、鋸で切った痕があり、一応、小さくしようとしたものの、途中で諦めたものと思われます。

  置いて行かれるのも道理でして、燃やすゴミは、普通の回収車で集めますから、あの機械で潰せない物は、持って行ってくれないのです。 何回出しても同じ事ですな。 さりとて、いくら、当番でも、こんな大物を処理する義務はないので、そのまま置いておく事にしました。 もし、近所の人間が出したなら、次のゴミの日までには、取りに来るでしょう。

  だけど、うちの近所には、こんな大きな木がある家がないので、よそから持って来た可能性もあります。 それなら、取りに来ないかもしれません。 その場合、うちで片付けるの? 冗談じゃないですよ。 自分の家の物を片付けるだけでも、ヒーコラ言っているのに、人の家のゴミまで、片付けてられるかというのよ。 こんなの切っていたら、心臓が止まってしまいます。
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6500 ≪キャノン Autoboy Luna35≫

2017/03/25 11:24
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  ろくな写真が撮れなかった、≪リコー LX-55W DATE≫に見切りをつけ。 1年2ヵ月後の、1999年4月に買ったのが、この、オートボーイです。 自動露出、自動焦点のコンパクト・カメラとしては、最も名が売れていた機種。 99年というと、APSカメラはもちろんの事、すでに、デジカメも出て来ていた頃で、35ミリのフィルム・カメラとしては、末期に出た事になります。

  35-70ミリのズーム機能も付いていて、フィルムである事を除けば、ほぼ、今のコンパクト・デジカメと同じような感覚で操作できるカメラでした。 惜しむらく、電池が特殊なタイプでして、しまっておいたカメラを、久しぶりに使おうとすると、電池がなくなっていて、そのつど、500円近くする特殊電池を買わなければならない欠点がありました。 これは、フィルム時代末期のカメラは、みんな同じでした。 単三にしておいてくれれば、まだまだ、使えたものを・・・。

  値段は、15540円だったと日記にありますが、定価はもっと高かったのでしょう。 値段が手頃な割に、まーあ、写りは良かったです。 さすが、キャノンとしか言いようがありません。 専ら、飼い始めたばかりの、柴犬シュンを撮る為に買ったのですが、このカメラで撮った写真は、他と、まるで違います。

  これ一台は、フィルム・カメラを残しておいても良かったのですが、特殊電池の問題は、いかんともし難く、惜しみながら、捨てました。 24枚撮りを一本撮るのに、フィルム代、特殊電池代、現プリ代を合わせれば、1500円以下という事はありますまい。 それだけあれば、デジカメなら、2万4千枚くらい撮れるんじゃないでしょうか? コスト・パフォーマンスが悪過ぎるのです。
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押入れから本棚を出す。プレハブ窓際台の検討。

2017/03/24 20:40

  晴れたり曇ったり。


  午前中、押入れクローゼットの奥から、つい先日まで漫画を入れてあった、本棚を引っ張り出しました。

  なんと、本棚の下に、≪めぞん一刻≫の8巻が落ちていました。 どうやれば、そんな、底板の下に入り込むのか、想像もつきません。 これも、何か縁かと思い、読んでみたんですが、やはり、もう、楽しめるものではありませんでした。 私も、とことん、歳を取ってしまったものよ。 また、捨てに行かねば。

  それだけでなく、最後に撮ったポジ・フィルムも出て来ました。 なんで、この一本だけ、押入れクローゼットに入っていたのか、これまた、想像がつきません。 また、記録を撮って、シュレッドしなければ。


  午後、横山へ。 たまに行くと、本当に、疲れる山です。


  午前中に出した本棚の横板を、プレハブで使えないかと、思案中です。 プレハブの窓際に台があれば、その上に物を置き、窓だけ開けて、出し入れができるので便利なのですが、今置いてある物入れ台は、解体廃棄する予定なので、代わりになる台が欲しいのです。

  しかし、どうも、新しい物を作るというのが、気が進まない。 人生の片付け局面に入っているのに、これから、新しい物を作るなど、逆行もいいところです。 「では、物入れ台を廃棄せずに、そのまま置いておけばいいではないか」とも思うのですが、その物入れ台というのが、父が、50年近い昔に作ったもので、見た目からして、「これは、捨てなければならんな」と、誰もが感じるオーラを放っている代物なのです。

  今後、私が、プレハブを大いに活用する事などありえず、それならば、極力、物は減らしておきたい。 だけど、窓際の台は欲しい。 そういう、相反する二つの要求に応えなければならないのです。 さあ、答えは見つかるでしょうか? こんな事で、頭を悩ましているのは、不幸なのか、幸福なのか、自分でも分かりません。
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6499 ≪リコー LX-55W DATE≫

2017/03/24 10:04
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≪写真上≫
  ≪コニカ EYE≫の後に、フジフィルムのオート・フォーカス・コンパクト・カメラがあったのですが、それは、早々と壊れて、捨ててしまいました。 その次に、家用に買ったのが、この、リコーの「LX-55W DATE」です。 1998年2月で、私が、一眼レフに嵌まっていた真っ最中だったので、私が、機種を選んで買って来ました。

  別に、安さを狙ったわけではなく、固定焦点のカメラを探したら、これになったのです。 母が、オート・フォーカス・カメラの、半押しでフォーカシングするシャッター・ボタンをうまく使えないというので、焦点合わせが不要な固定焦点カメラにしたというわけ。 フィルム・カメラ時代終盤の機種にしては珍しく、単三アルカリ電池が使えました。

  だけど、肝心の撮影性能は、さんざんでして、およそ、生気のない、暗い写真ばかり・・・。 よほど、晴れた日でもない限り、見られる写真は撮れませんでした。 母はもちろん、私ですら、性能の低さを認めないわけには行かず、一年ちょっとで、別の機種に買い換える事になります。

≪写真下≫
  母は、買った品の本体や箱に、日付を書き込む習慣があり、これにも、箱に書いてありました。 値段まで書いてあるのは、珍しいです。 定価が、15000円なのに、6090円というのは、安いですが、性能的には、15000円では高すぎるカメラで、6090円の方が、妥当な感じでした。
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病院へ送迎。第4回給油。≪リベンジ・マッチ≫。

2017/03/23 21:02

  終日、ほぼ曇り。 午前中は、薄ら寒かったですが、午後になったら、明るくなり、僅かに晴れ間も見えました。


  午前中、旧母自で、図書館へ。 二冊返して、同じく、中公新書の≪ネガティブ・マインド≫を借りて来ました。 鬱病の話。 こういう本ばかり借りてくるのが、ネガティブだなあ。


  午後から、母を、心臓手術をした病院に送って行きました。 ほぼ、二ヵ月に一度、通院しています。

  母を病院に下ろしてから、ガソリン・スタンドへ回り、セルボ・モード、4回目の給油をして来ました。 7ヵ月で、4回だから、いかに、乗っていないかが分かります。 毎回、ほぼ、20リットル。 今日は、リッター、134円で、今までで、最も値段が高かったです。 ここのところ、ずっと円高なのに、なぜ、安くならぬ? もっとも、ガソリン代は、母から出ており、私の懐が痛むわけではありません。

  3時頃、電話があって、迎えに行きました。 一日に三回も出かけると、体力を使っていなくても、疲れます。


  夕飯にやきそばを作り、今日はおしまい。



≪リベンジ・マッチ≫ 2013年 アメリカ
  スタローン、デ・ニーロ両氏のダブル主演。 若い頃に、決着をつけられないまま、一方の引退で終わってしまった、ボクサー二人が、30年後に、諸般の事情で、再度戦う事になり、互いに猛練習して、試合に挑む話。

  ほぼ、コメディーですが、試合の場面だけ、人情物になっています。 アメリカ映画でも、人情物はあるわけですな。 そういえば、≪ロッキー≫シリーズも、そうでしたし。 コメディー部分は、シチュエーションだけでも、充分面白いのに、下ネタを入れ過ぎて、逆に白けさせています。 勿体ない。

  それにしても、ボクシングというのは、肉が弛んだ年齢でやるスポーツではないですな。 試合の終盤なんて、もう、顔が変わってしまって、誰だか、分からなくなっています。 スタローンさんはともかく、デ・ニーロさんは、マッチョ俳優というわけでもないのに、よくも、この役をこなしたもの。 大変だったでしょうねえ。

  見苦しいと言えば見苦しいのですが、人情物の部分が効果を発揮して、見終わった後味は良いです。
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6498 ≪コニカ EYE≫

2017/03/23 10:53
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  これは、私が物心ついてから、中学生頃(1970年代後半)まで、家で使っていたカメラ。 コニカの「EYE」という製品のようですが、取説がないので、それ以上の事は分かりません。 取説は、残っていないだけでなく、そもそも、私は、このカメラの取説を見た事が一度もないです。 買ったのは、母だと思いますが、使い方が分かったら、さっさと捨ててしまったんでしょう。

  35ミリ・フィルムを使いますが、ハーフ・サイズなので、24枚撮りのフィルムなら、48枚、36枚撮りのフィルムなら、72枚、撮る事ができました。 「すっごい、得じゃん!」と思うのは、気が早い。 現像代は、フル・サイズと変わりませんが、プリント代は、2倍かかるわけで、得は得でも、そんなに得ではありませんでした。

  どうせ、プリントするといっても、大きく引き伸ばす事などなかったから、画質は、ハーフでも充分でした。 問題は、現プリが、機械で行われるようになってから、ハーフで撮ったフィルムは、特別扱いになってしまい、別料金を取られる恐れが出て来て、使えなくなってしまった事です。 もっとも、その頃にはもう、オート・フォーカスのカメラに買い換えていましたけど。

  電池を一切使わない露出計が搭載されていて、長いお蔵入りの後、1998年に、私が、ポジ・フィルムを入れて、撮ってみた時にも、露出の狂いはありませんでした。 その点は優れ物。 なんで、この露出計を、その後の標準にしなかったのか、不思議でなりません。

  距離は、目算で測り、手動設定するのですが、ピントが狂う事は、まず、ありませんでした。 家族で、観光地へ行って、記念写真を撮る場合、毎回、同じくらいの距離でしか撮らないからでしょう。 被写界深度に、収まっていれば、ピント外れは起こらないわけだ。 使われ方を、よく考えてあるカメラでした。

  ずっと、私の部屋の天袋にしまってあって、2015年秋の大整理の時にも、私が買った物ではないから、捨てなかったのですが、最近になって、母に訊いたら、とっくに捨てたと思っていたようで、それなら、いいかと思って、今回、とうとう、捨てました。
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