台風予報大外し。屋内コオロギ。

  台風10号の余波で、斑天気。 自室の南側雨戸を、半分だけ、閉めたり開けたり。 外掃除もできない天気でした。


  台風10号。 マスコミというより、気象庁が大元ですが、明らかに、前騒ぎのし過ぎでした。 もちろん、被害は出たわけですが、むしろ、平均的な台風より、少なかったわけで、予報を外した事は、否定のしようがありますまい。

  「事前に大騒ぎした事で、人々が避難したから、被害が少なかったのだ」とすら言えないのは、別に、堤防が決壊して、何百軒もの家屋が浸水したわけではないからです。 避難しなくても、大丈夫だったわけで、避難所で新型肺炎感染のリスクが高まった事を考えると、まずい誘導でした。 中には、それで感染して、死ぬ人も出て来ると思いますが、気象庁では、責任の取りようがありますまい。

  「台風の観測データから、大きな被害が予想される場合、たとえ、不確かであっても、とりあえず、騒いでおいた方がいい」というのも間違いで、予報というのは、一度、大外しをやらかすと、信用を失い、次には、同じように大騒ぎしても、人々が逃げてくれなくなります。 狼少年効果ですな。 それが、一番、まずい。

  観測データから、被害の予想を、精確に計算できないところに、問題の核があると思います。 これだけ、毎年、何十号もやって来ていても、未だに、その計算式が完成していないわけだ。 地震や火山噴火もそうですが、地学の災害予測能力は、まだまだ、ヨチヨチ歩きのレベルにあるのかもしれませんな。 その種の計算式が出来る前に、人類が滅びてしまいそうです。

  「飛沫の広がり方なんて計算していないで、そういうところにこそ、スパコンを使え」と思う人も多かろうと思いますが、スパコンというのは、性能よりも、どう使うかが肝要でして、つまるところ、使いこなせる学者がいないわけだ。 うーむ、熱が出て来る。 阪神・淡路大震災の後、小松左京さんが、学者達に取材したところ、責任逃れにばかり熱心な、いい加減な輩が、あまりにも多いので、すっかり、幻滅してしまったというのが、よく分かる。



  話は変わりますが、4・5日前から、夜になると、コオロギが家の中で鳴くようになりました。 どう聞いても、外から聞こえて来る音色ではありません。 家の中にいるのです。 ところが、声はすれども姿が見えぬ。 逃がしてやりたくても、捕まえようがありません。 声の発信源は、2日前からは、洗面所の方に移り、昨日は鳴かず、今日になって、また鳴きました。 声の響きが妙にいいところから考えて、どうやら、風呂場にいる模様。

  で、風呂場に置いてある物をどかして行ったら、果たして、片隅に、まだ小さなコオロギがいましたよ。 逃げ回るのを、何とか捕まえて、窓から外へ。 よくも、4・5日も、家の中で、生き延びたものです。 大抵、そういう生き物は、何年もしてから、箪笥の後ろで、憐れな骸が発見されるものなんですが。

7762 ≪EN125-2Aで浮島ひまわりらんど / 狩野川西部浄化センター≫

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  とにかく、今年の7月は、梅雨が長引いて、雨ばかりでした。 で、プチ・ツーリングも侭ならず、平日から押し出されて、8月に入ってから、2日の日曜日に、出かけざるを得なくなりました。 行った先は、沼津市の西の方、「浮島ひまわりらんど」という所。

≪写真1左≫
  少し、場所を勘違いしていたのですが、さほど迷わずに、辿り着きました。 この看板があるからには、間違いなし。 割と広い駐車場あり。 しかし、今から行っても、もう、咲いていないでしょう。 無料。

≪写真1右≫
  確かに、向日葵が咲いています。 思っていたより、小規模で、畑一枚、潰したという程度の広さ。 一方、訪問者は多くて、感染防止上、とても、畑の中まで入って行けず、この距離で写真を撮って、すぐに、引き揚げました。

≪写真2≫
  駐車場が車で一杯だったので、道路脇に、バイクを停めました。 この辺り、ほとんど、田んぼです。 元が沼地なので、地盤が柔らかく、家が建てられないのです。 建てると、傾きます。

≪写真3≫
  「浮島ひまわりらんど」のちょっと南に、「静岡県狩野川西部浄化センター」があり、そこに寄りました。 以前に、折自で来た事があります。 この建物の周囲が、ビオ・トープになっています。 無料。

≪写真4≫
  これが、ビオ・トープの一部。 結構、広いです。 親水公園ではないので、水際には近づけません。 そもそもが、浄化センターですから、レジャー・シートに弁当広げるような場所ではないですが、犬の散歩に来るには、いい所です。

買い出し。図書館。

  ほとんど、晴れ。 午後から夜にかけて、時々、雨。


  朝一、6の付く日なので、車で母と、イオン系スーパーへ。 買い過ぎ。 私は、母が書いたメモに従って集めるのですが、今日は、普段の2倍くらいありました。 カートに乗り切らないほど買って、どうする?


  帰って、荷物を下ろしてから、 旧母自で、図書館へ。 ≪松本清張全集4 黒い画集≫を返し、≪同5 砂の器≫を借りて来ました。 とうとう、【砂の器】を読む時が来たか。 映画やドラマは見ていますが、原作は初めてです。


  午後は、2時間サスペンスと、パソコンで書き物をして過ごしました。

7761 ≪松本清張全集 19 霧の旗・砂漠の塩≫

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≪松本清張全集 19 霧の旗・砂漠の塩≫

松本清張全集 19
文藝春秋 1971年7月20日/初版 2008年6月25日/8版 
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 【火と汐】は、以前に、文庫本で読んで、感想を書いていますが、一作なので、同じ物を出しておきます。


【霧の旗】 約162ページ
  1959年(昭和34年)7月から、1960年3月まで、「婦人公論」に連載されたもの。

  殺人の濡れ衣を着せられた兄を弁護してもらう為に、地方から東京まで出て来た女性が、頼りにしていた弁護士に、費用が払えないだろうからという理由で、冷たく追い返される。 兄が獄死した後、東京のバーに勤めた女性が、弁護士の弱みを掴んで、復讐を遂げようとする話。

  何度か、ドラマ化されているので、ストーリーは知っていました。 面白いです。 いや、大変、面白いです。 映画化2回、ドラマ化9回くらい、されているようですが、凄い数ですな。 しかし、これだけ、面白い話なら、映像作家の面々が食いつくのも、不思議はないです。

  何が面白いといって、主人公の女性が、自分の兄を見捨てた弁護士を、最後まで容赦しない事でして、ドライもドライ、人情物の気配なんぞ、微塵も感じさせず、とことん追い詰めて、相手を完全に破滅させるまで、手を緩めないところが、実に、爽快。 崖の上で、お涙頂戴の因縁話に、40分も割いているような、へっぽこ2時間サスペンスの製作者達は、爪の垢でも煎じて飲むべきでしょう。

  この復讐、常識的に考えれば、逆恨みなのですが、弁護士側に、愛人に早く会いたいばかりに、女性の二度目の訪問を受け付けなかったという、弱みがあり、読者に、逆恨みだと思わせない設定が、絶妙の匙加減で施されています。 実に、巧みだ。 この設定のお陰で、読者は、弁護士を追い詰める女性に対し、「もっと、やれ!」と、残忍なエールを、罪悪感なしに送れるわけですな。

  弁護士が、「第一の殺人の真犯人が分かった」と言っても、女性は聞こうともしないのですが、それは道理でして、第一の殺人の被害者は、女性の縁者でも何でもないのですから、真犯人が誰かなんて、どうでもいいんですな。 女性にしてみれば、兄が見殺しにされてしまった、その点だけが、問題なわけだ。

  「第一の殺人の犯人と、第二の殺人の犯人が、同一人物」という見立ては、ちと、偶然が過ぎますが、何と言っても、この作品の眼目は、復讐にあるのであって、殺人事件は背景に過ぎず、誰が犯人だろうが大した問題ではないという、推理小説としては、かなり、風変わりな特徴を持っています。


【砂漠の塩】 約178ページ
  1965年(昭和40年)9月から、1966年11月まで、「婦人公論」に連載されたもの。

  互いに配偶者がいる身で、心中を覚悟し、海外へ駆け落ちした女と男が、カイロからバグダッドまで、逃避行をする話。

  1969年の【象の白い脚】と同様、基本的には、海外紀行で、それを、小説に仕立てたもの。 砂漠で心中したがるというのが、かなり、無理がありますが、国際的な犯罪が絡んでいない分、【象の白い脚】よりは、リアリティー的に救われています。

  それにしても、不倫の挙句、外国へ逃げて暮らすというのなら、まだ分かるのですが、死を覚悟して、わざわざ、外国へ行くというのは、やはり、変な感じがしますねえ。 来られた側にしてみれば、大変な迷惑。 死体を発見したのが、たまたま、そこに仕事で来ていた日本人だったというのも、御都合主義です。 それこそ、「砂漠で、針を捜す」的な偶然ではないですか。

  そもそも、不倫はするわ、自殺はしようとしているわ、そういう人間を、小説の主人公にしても、読者が同調してくれますまい。 そんな道に外れた事をする人は、ごく少数派なんだから。 はっきり言って、主人公達の気持ちが分からないですし、分かりたくもないです。

  風景の描写部分は、完全に紀行文ですが、もし、単なる、作家の旅行記として発表したら、それはそれで、読む人はいなかったでしょうなあ。


【火と汐】 約71ページ
  1967年(昭和42年)11月号、「オール読物」に掲載されたもの。

  夫が、油壺と三宅島を往復するヨット・レースに出場している数日の間に、浮気相手と京都へ旅行に行っていた妻が、大文字焼きの見物中に姿を消し、その死体が、浮気相手の住居の近くで発見される。 当初、浮気相手の男が疑われるが、二人の刑事が、夫の方が動機が強いと当たりをつけ、殺害時刻に海の上にいたという鉄壁のアリバイを崩そうと試みる話。

  この話、ドラマ化されたものを見た事があります。 1996年と2009年で、2作あるようですが、どちらを見たのかは、忘れてしまいました。 他に、西村京太郎さんの≪赤い帆船≫の中に、この作品そのものが小道具として登場した事で、より強く、印象に残っています。 ちなみに、タイトルの「汐」は、ヨット・レースの事ですが、「火」というのは、大文字焼きの事。

  ネタバレしていても、充分面白いから、書いてしまいますが、海の上にいたのだから、京都へ行けるわけがないのに、そこを、巧みなトリックを使って、行き来を可能にしたというのが、作品の特徴です。 鉄道の時刻表トリックのアレンジと言えば言えますが、舞台を海の上に移し、空路まで絡めて、「ありえなさ」をより増幅した事で、読者の意表を衝く事に成功しています。

  面白いのですが、結末が、逮捕に至らないのは、ちと、釈然としないところ。 こんな幕切れを選ぶ人間なら、そもそも、こんなに凝った計画殺人なんて、目論まないでしょうに。 離婚してしまった方が、遥かに、賢いです。

2時間サスペンスで過ごす。

  燃やすゴミを捨てに行った以外、家にいました。 もう、土日・祭日は、食料の買い出し日に重ならない限り、外出はできませんな。 わざわざ、人出が多いのが分かっている日に出かけるなど、感染リスクを高めるだけです。


  昼寝と、2時間サスペンスで、過ごしました。 村上弘明さん主演の、≪刑事の証明≫ばかり、続けて、三本見ましたが、管理官役の加藤剛さんが、回を追うごとに、元気がなくなって行くのが、痛々しい。

7760 ≪セルボ・モード補修 タイヤ処分≫

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≪写真上≫
  とりあえず、物置に置いてある、廃タイヤ。 外す時に、シリコン・スプレーを吹いたので、中性洗剤で洗って、綺麗にしてあります。

  全て、スタッドレスで、3本は、ダンロップ、1本だけ、トーヨーです。 ダンロップの3本は、ヒビだらけで、捨てるのに、ためらい、なし。 トーヨーのは、ヒビがなく、使おうと思えば使えるのですが、側面が赤っぽくなる性質がある上に、大変、硬いタイヤで、外すのに大苦労したので、もう、つけ直す事はなかろうと思い、捨てる事にしました。

  捨てるといっても、ゴミには出せませんから、業者に引き取ってもらう事になります。 電話で調べたら、近所のオートバックスで、一本、税込み330円、4本で、1320円で引き取ってくれるというので、そこへ持って行く事にしました。

≪写真下≫
  8月5日の午後に、車に積み込みました。 後席の背凭れを倒してあります。 車内を汚さないように、新聞紙を敷いてから、載せました。 持って行って、下ろして、引き取ってもらい、1320円払って、帰って来ました。 簡単に済んでよかった。

  これで、タイヤ自力交換計画は、全て、終了しました。 日程は、以下の通り。

7月31日(金)午後 「右後輪交換」
8月 2日(日)午後 「左後輪交換」
8月 3日(月)午前 「左前輪交換」
8月 3日(月)午後 「右前輪交換」
8月 4日(火)  「ホイール・カバー取り付け」
8月 5日(水)  「廃タイヤ処分」

  ところが、その後、右の足首が痛くなり、半月近く、足を引きずって歩く事になりました。 ビード落としの時に、踵を使い過ぎたのが原因です。 やはり、ビード落としは、ナメられぬ。 かといって、これから、既製品のビード・ブレーカーを買うのも、馬鹿な話。 年齢的に考えて もう、私が車のタイヤ交換をする事はないでしょう。

  タイヤの自力交換ですが、人様には勧めません。 難易度が高過ぎるのです。 業者に頼むと、交換作業自体は、一本、2千円弱くらいですが、そのくらい払っても、やってもらった方がいいです。 通勤で車を使っている人は尚の事で、体力的、技能的以外に、時間的にも、自力でやるのは、難しいです。 道具を揃えたとしても、確実に楽になるというわけではないですし。

週末作業。バイクで三島・駒形神社と龍澤寺。

  いい天気。 朝から、部屋の拭き掃除、掃除機かけ、外掃除、亀の水換え。


  午後から、バイクで、三島へ行き、澤地地区にある、「駒形神社」と、「龍澤寺」を見て来ました。 駒形神社の方は、拝殿が横長で、少し変わっていただけでしたが、 龍澤寺の方は、想像していたよりも大きな寺で、とりわけ、石垣には圧倒されました。 城かと思った。 どちらも、無人。 プチ・ツーリングの目的地は、無人に限る。