7983 ≪ガス警報機の交換≫

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  3月17日に、ガス屋が、レンタル警報機の交換に来ました。 台所に入って来るわけで、作業がし易いように、且つ、時節柄、余計な所に触られないで済むように、準備をしておかなければなりません。

≪写真上左≫
  で、作業の邪魔になる茶箪笥を、そっくり、動かしました。 私の背より高い大物ですが、カラー・ボックス式の組み立て家具なので、中身を出してしまえば、一人でも動かせます。

  このほかに、コンセント・プラグを抜き差しし易くする為に、冷蔵庫も、10センチくらい、前に出しました。 更に、警報機本体や、コード、プラグなどを、ペイントうすめ液で拭いて、極力、綺麗にしておきました。

≪写真上右≫
  茶箪笥に入っていた中身ですが、台所に置き場所がないので、床の間のテーブルの上に新聞紙を敷き、その上へ置き並べました。 ほとんどが食材ですが、腐っているような物もなく、割と扱い易かったです。

≪写真下左≫
  これは、今まで、5年間、付いていた、ガス警報機です。 「COSMOS XW-77S 快適ウォッチ 自動試験機能付」。 夏場、調理で室温が上がると、「部屋が大変、熱くなっています」と喋るのですが、それがうるさくて、母が辟易していた代物。

≪写真下右≫
  こちらは、新しく取り付けられた、ガス警報機です。 「COSMOS XW-77S 快適ウォッチ 自動試験機能付」。 わはは! 全く同じではないか。 ガス屋の話では、うるさい点は、改良されているとの事ですが、普通、改良されたら、製品名の番号・記号が変わるものです。 本当に改良されているのか、夏になってみなければ分かりません。

  ガス屋も私も、マスク着用。 それでも、心配なので、窓は全開にして、ほとんど、屋外と変わらないような環境にしておきました。 何とか、無事に終わって、良かったです。

バイクで裾野・見目神社。

  薄曇り。 時折、晴れ間。 朝は、薄ら寒かったですが、次第に、気温が上がりました。


  外掃除。 昨日までの雨で、落ち葉、多し。 梅の実が一つ、まだ大きくならないまま、落ちていました。 洗って、ラップに包んで、冷蔵庫に入れておきましたが、こういうのは、梅干しにできるのかどうか。


  午後、バイクで、裾野市麦塚にある、「見目神社」に行って来ました。 「見目」と書いて、「みるめ」と読むらしいです。 大きな境内に、立派な社殿。 村社クラスとしては、最大級なのでは。 神社アイテムは、手水舎を除いて、一通り揃っていました。 境内別社が、たくさん、ありました。

  往復で、25キロ。 裾野市は、隣の隣の自治体なのですが、その南端なので、三島の北の方と、さほど、変わりません。 裾野市の南半分くらいまでなら、行動半径を広げても、往復30キロ以内で行って来れるかもしれません。

7982 ≪EN125-2Aで函南・畑の祠≫

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  3月15日に、バイクで、函南へ行って来ました。 第一目標、「熊野神社」、第二目標、「函南神社」だったのですが、どちらも、見つけられず、第三目標、「天地神社」を目指したところ、熱函道路沿いの畑の脇に祠があるのを見つけました。

≪写真1≫
  ここが、熱函道路からの曲がり口。 コンクリート・ブロック垣の傾斜に沿って、階段がつけられていますが、幅の狭い道路で、しかも、交差点の直近なので、ここには、バイクも車も停められません。

≪写真2≫
  で、畑に上がる道から入って、鎮守の森のすぐ外側に停めたのですが、もろに、畑の脇でして、たぶん、ここは、私有地だと思います。 申し訳ない。

≪写真3≫
  石の祠と、石燈篭2基があります。 神社の形式は、何でもアリとはいえ・・・、これは、地図に名前が載るような神社ではないですなあ。 左側は、すぐに、熱函道路。 交通量は多いです。

≪写真4≫
  畑の一部が花壇になっていました。 水仙やヒヤシンスが咲いていました。 さすが、農家は、植物を扱い慣れているだけあって、園芸も巧みです。 うちの水仙は、なぜ、咲かないかなあ。


  帰りは、来た道を通り、反対側から観察したら、函南神社の場所は分かりました。 寄るのは、次の機会にする事にし、素通りして来ました。

  祠には、何も書いてなかったので、天地神社なのか不明なまま、写真だけ撮って来たのですが 家で地図を見たら、天地神社は、全然、違う所で、この日、私が行ったのは、個人の畑に祀られた祠だった事が分かりました。 地図にも載っていません。 うーむ、最近、こういう事が多いのう。

何年ぶりかに咲いた躑躅。

  朝方まで、雨が残りました。 10時過ぎに、上がったので、ようやく、雨戸を開けられました。


  洗濯物をベランダ下に出していて、ふと気づいたら、庭のメインの植え込みで、何年も咲かなかった躑躅が咲いているじゃありませんか。 しかも、たくさん。 別に、何もしていないのに、なんで、今年は咲いたんでしょう? 不思議でなりません。


  午後は、昼寝と読書。

7981 ≪うちの車⑦ 「ホンダ・初代トゥデイ前期型」≫

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  うちの車シリーズの、7回目。 今回と次回は、母の車です。 まずは、母が買った最初の車、「ホンダ・初代トゥデイ前期型」です。 初代トゥデイは、1985年に登場し、1988年に、ビッグ・マイナー・チェンジします。 1993年に、2代目が出た後も、初代後期型が、ボン・バン専用として作られ続け、1998年の旧規格終了まで、生き残りました。

  母が買ったのは、1986年の10月で、2004年の10月まで、18年間、乗っていました。 母は、45歳の時に、原付の免許を取り、5年間、スクーターに乗った後、50歳の時に、車の免許を取りました。 私と母は、普通免許取得の同期でして、ほぼ、同時に車を買いました。 私のは、ダイハツの初代ミラ中期型。 奇しくも、同じ日の夕方に、私と母の車が納車され、ダイハツとホンダの販売員が、うちで、鉢合わせしたのを覚えています。

  母は、免許は取ったものの、車の良し悪しなんぞ、全く分からない人で、単純に、テレビCMにつられて、「スズキのアルト(2代目)を買う」などと言い出したので、私が、「あんな醜い車、とんでもない!」と憤り、「ホンダへ行って、トゥデイを買え」と薦めたのです。 私が評価していたのは、デザインでしたが、車自体も完成度が高く、買って大正解でした。

≪写真1≫
  1987年7月25日、母と父が、庭で、車の撮影会をやった時の写真です。 まだ、買ってから、1年経っておらず、初心者マークが貼ってあります。 例によって、母は、モデル・ポーズを決めています。 後ろに、父が買ったばかりの車、トヨタ・8代目コロナが見えます。 この頃、うちでは、家族全員が車をもっていて、縦に4台並べていました。

≪写真2≫
 ここから、5枚は、1998年3月9日に、大平へ行って、フィルム一眼レフで撮影したもの。 リバーサル・フィルムは、フジフィルムの、「ブロビア」24枚撮り。 そんな事は、どうでもいいですが。

  斜め前から。 なんだか、カタログに載っていそうな写真ですが、私が自分で撮ったものです。 デザインがいい車は、誰が撮っても、カッコがつくものなのです。 ただし、初代トゥデイ前期型の丸灯ヅラは、フィアット・リトモ前期型の、パクリです。

≪写真2≫
  斜め後ろから。 後姿も、大変、よく纏まっています。 ネームは、ステッカーで、左側に、「HONDA」、右側に、「tody G」とあります。 「tody」のロゴが、小文字だったとは、すっかり忘れていました。 母が買った、「G」は、最高級グレードでした。 それでも、100万円台前半で、今の軽のように、目玉が飛び出るほど、高くはありませんでした。

  完成度の高いトゥデイ前期型でしたが、バック・ドアの上方内側が錆び易くて、古くなると、ドアを開け閉めするたびに、錆がボロボロ落ちて来ました。 たぶん、水が溜まってしまうような部分があったのだと思います。

≪写真3≫
  運転席。 内装色は、グレー。 他に、茶色があったようです。 パワ・ステはなく、ハンドルは重かったですが、私は、気になりませんでした。 パワー・ウインドウはなくて、手回しのレギュレーター・ハンドルが付いています。 母が買った車には、エアコンが付いていて、重宝しました。 オーディオは、カセットとラジオ。 エア・バッグはありません。 バック・ドア・オープナー、なし。 フューエル・リッド・オープナーもなし。 ガソリン・スタンドに行くと、キーを店の人に渡して、開けてもらっていました。

≪写真3≫
  エンジン・ルーム。 初代トゥデイ前期型には、アクティ(トラック・バン)用のエンジンが積まれていました。 ホンダは、しばらくの間、普通の軽自動車を作っていなくて、550ccのエンジンが他になかったのでしょう。 低音の、ボコボコ言うようなエンジン音で、非力でしたが、街乗りでは充分。 山の中でも、まだ、電子装備が少ない時代で、車重が軽いので、よく走りました。 車高が低いからか、サスがよく出来ていたからか、コーナーでの安定性は、大変、良かったです。

≪写真4≫
  フィルムの端が入っているのは、元が斜めだったのを水平にしたからです。 三脚撮りの時、水平を出すのが面倒臭くて、構図を斜めにして撮る事がありました。 特に、自撮りの時は、それが多かったです。 リバーサル・フィルムを、直接、デジカメで撮影しているので、粒子は粗いですが、色だけは、今見ても、いいですな。 この写真、撮っておいて良かったです。 車の写真は、滅多に撮りませんから。

  この時から、23年も経ってしまったか。 ただ、天気がいいだけの、さもない日でしたが、トゥデイと、リコーの一眼レフ、「XR-8スーパー」と、34歳の私の、ささやかな思い出になりました。

≪写真5左≫
  以下、2枚は、2004年に、沼津御用邸公園近くのショッピング・センター駐車場で撮影したもの。 当時、まだ、御用邸の駐車場が有料だったので、ここに車を停めて、そこから、シュンを連れて、御用邸海岸まで、散歩に行っていました。

  この年の9月には、もう、廃車になってしまうので、晩年の姿です。 車の色が、だいぶ、色褪せています。 カメラが、日立のHDC-2であるせいもありますが、実際の色も褪せていたのでしょう。 もう、18年目ですから。

  外観は、母がよく、他の車にぶつけられていたので、ボコボコ。 しかし、内装は、まだ、さほど、くたびれていませんでした。 ただし、後席は、柴犬シュンの毛だらけでした。

  3ドアだから、運転席の背凭れを倒さなければ、後席に入れないのですが、シュンは、ピョンと身軽に、乗り込んでいました。 車に乗っている間は、基本的に、シートの上に立っていて、たまに、お座りする事はあっても、決して、伏せはしませんでした。 犬の考えている事は分からない。

≪写真5右≫
  こちらは、2004年の5月である事が分かっています。 ホイールは、鉄製のシルバー塗装です。 標準は、鉄シルバーで、アルミや、ホイール・カバーは、オプションでした。 これを見ていると、少し、デザイン性を加えてやれば、鉄シルバーで、充分という感じがしますねえ。 タイヤのサイズは、12インチです。


  私は、最初に買ったダイハツ・初代ミラ中期型を、6年間もっていましたが、1992年に廃車にしてしまい、その後の通勤は、バス・電車、後に、バイクで行っていました。 休みの日だけ、母や父の車を借りていたのですが、圧倒的に多く乗ったのが、このトゥデイでした。 ガソリンがもったいないから、一人で、ドライブに行く事はなかったですが、ちょっとした買い物でも、この車で出かける時には、運転が楽しみで、ワクワクしたのを覚えています。

  車デビューが同期だった関係で、母と二人でドライブに行く事も多かったです。 伊豆半島とか、神奈川県の、曽我の梅林とか、大山参りとか、由比にある東海道広重美術館とか。 その帰りに、富士宮でやきそばを食べ、十里木の方を回って、御殿場を通って帰って来ましたっけ。

  1995年に、仕事で、愛知県の渥美半島の付け根にある田原町に、2ヵ月間行っていたのですが、引き揚げて来る時、前の週に、この車を借りて行って、帰りに、荷物を積んで帰って来ました。 夜中に出発して、途中、掛川辺りで仮眠し、早朝に家に着きました。 おそらく、この車で行った、最も遠い所は、田原町だったと思います。

  母が、自分で運転して行った最遠地は、静岡県中部の藤枝辺りだったとの事。 仕事時代の友人と4人で乗って、山梨県の下部温泉に行ったという武勇伝もあります。 小柄な女性だけだから、ボン・バンでも、4人乗れたんですな。 大人の男だと、前席を、ある程度、下げざるを得ないので、後席は、足下に足が入らなくなってしまいます。 それは、ボン・バン全てに言える事ですが。

  他に、私が、柴犬シュンを海へ連れて行くのに、この車を何回使ったか分かりません。 ある時、車を使わずに、家から歩いて行ったら、帰りに、犬が疲れて、道に座り込んでしまった事がありました。 犬も、利器に慣れると、虚弱になるものですな。

  信号待ちで、エンジンが止まってしまう事が、ポツポツ、起こるようになり、2004年に廃車にしたのですが、今にして思うと、新車を買うお金の半額くらいかけて、本格的に修理し、乗り続けていれば、今頃、大変、貴重な車になっただろうに、と後悔しています。 私が生涯に乗った中で、デザインも、乗り味も、最も印象が良かった車なのです。

雨。痺れ。

  朝から、断続的に、雨。 午前中は、道路が乾くほど、降っていない時間帯があったのですが、どうせまた降るからと思って、掃除はしませんでした。


  パソコン作業の他は、昼寝と読書。


  左手の指先、主に、人指し指と親指ですが、先週金曜の夕食後から、痺れるようになりました。 左腕全体も、少し、痺れるような感じがあります。 どこかに、血栓でも出来たのかと思い、「長年の酷使が祟って、いよいよ、体が壊れ始めたか」と、嘆いていました。

  今日、2時間サスペンスで、ふぐ毒の話を見ていたら、ふと、「もしや、この痺れは、何かに中ったのでは?」と思いつきました。 で、金曜の夕飯を調べてみたのですが、中りそうな物というと、手作りワンタン汁に入っていた椎茸くらいしか思いつきません。 しかし、椎茸は、自然のものではないから、別の茸が混じるという事は考え難いです。

  ところが、風呂に入ったあと、ふと、左腿の内側を見たら、直径1センチくらいの赤い点があるじゃありませんか。 「もしや、虫刺されなのでは?」と、三たび、別の原因を疑い始めました。 アナフィラキシーというほどではないですが、それの弱いものではないかと。 一応、ムヒを塗っておきましたが、毒が体内に入ってからでは、手遅れかも。

  まあ、痺れるだけで、力が入らない事はないので、そんなに重症ではないわけで、その内、治る事を期待しているのですが・・・。 それにしても、次から次へと、調子の悪い所が出て来るものです。 完全に健康だった時期なんて、大人になってから、ほとんどなかったように思えます。

7980 ≪HDC-2の写真 2021年3月 石仏の里・大平巡り⑧≫

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≪写真1≫
  「34 龍音寺」。 正式名称は、「曹洞宗・石雲山 龍音寺」。 大平では、東の方にある寺です。

≪写真2≫
  本堂。 たぶん、鉄筋コンクリート。 瓦葺。

≪写真3左≫
  山門の裏にある、「やすらぎ地蔵」。 石に古色が付いていますが、造形から見て、新しい物だと思います。

≪写真3右≫
  こちらも、山門の裏にある、蹲と、観音像。 このお寺は、御本尊も、観音菩薩像だそうですが、木彫りらしいので、この銅像ではないと思います。

≪写真4左≫
  「35 お稲荷」と、「36 山の神」は、同じ場所に隣り合っていました。 右側が、稲荷で、左が、山の神です。

≪写真4中≫
  「35 お稲荷」の祠。 何となく、「怖さ」を感じさせる形状です。

≪写真4右≫
  「36 山の神」の祠。 こちらは、オーソドックスな形状。

≪写真5左≫
  すぐそばに、「37 道祖神」がありました。

≪写真5右≫
  顔のアップ。 特徴的です。 これまた、何となく、「怖さ」を感じさせます。 道祖神は、魔除けですから、そういう要素が必要なのかもしれません。


  今回は、ここまで。 全て、初めて行った所でした。 大平は、広い土地なのに、割とすんなり、石仏を見つけられるのは、不思議です。 地図が、よく出来ているのでしょう。 ただし、私が持っている地図が正確だったのは、「36 山の神」までで、「37 道祖神」からは、ズレて行きます。 古い地図だったのです。 来月に続く。