7901 ≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫

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≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫

松本清張全集 17
文藝春秋 1974年1月20日/初版 2002年6月1日/8版 
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。


【北の詩人】 約188ページ
  1962年(昭和37年)1月号から、1963年3月号まで、「中央公論」に連載されたもの。

  日本敗戦後まもないソウルで、プロレタリア文学の詩人が、日本占領時代、獄中で転向した事実を暴露されたくないばかりに、アメリカ軍政庁のスパイとなり、仲間の情報を売っていた。 やがて、南側では用済みとなり、北側の様子を探る命を帯びて、38度線を越えて行くが・・・、という話。

  硬い話で・・・。 小説的な部分もありますが、繋ぎ的に使われているだけで、ほとんどが、資料の羅列です。 主人公の、林和氏は、実在の人物ですが、この小説が、事実をどこまで映しているかは、不明。 歴史だろうが、実在の人物が出ていようが、小説と名が付いていたら、確実に、フィクションが含まれていると見るべき。

  林和氏や、この時代の、この分野の状況に特に興味がある人を除き、硬過ぎて、全く、面白さを感じないと思います。 全文字読んでも、読んだ端から、抜けて行ってしまう感あり。 こういう人がいたという事だけ、記憶に残れば、充分なんじゃないでしょうか。 それすら、長い時間を待たずして、消えてしまいそうですが。

  この作品ねえ、資料を集めて調べるのに、凄い手間と時間がかかっていると思うのですよ。 編集者から、こういう作品を書いてくれという注文が来るとは思えないから、たぶん、松本さんが自ら書きたいと言い出したんでしょう。 だけど、読者が、これを歓迎したとは思えませんなあ。 読むのが、苦痛でしかありません。 ちなみに、松本さんは、戦時中、衛生兵として、朝鮮に駐屯していた経歴があります。


【象徴の設計】 約162ページ
  1962年(昭和37年)3月号から、1963年6月号まで、「文芸」に連載されたもの。

  西南戦争の後から、10年くらいの間、山県有朋が、軍の反乱を押さえ込む為に、軍人勅諭を纏めた経緯や、自由民権運動の展開と衰退を中心に、社会が変転して行く様子を追った内容。

  小説というより、ほとんど、歴史書。 コチコチに硬いので、こういうのが、苦手な人は、10ページくらいめくって、目が慣れていかないようなら、やめてしまった方がいいです。 後ろへ行けば行くほど、小説的な部分が減りますから。 私としては、別に、松本さんの本で、歴史の勉強をしたいとは思わないので、硬いところは、飛ばし読みしました。

  おおまかに分かった事というと、明治政府の中心にいた人達が、ヨーロッパ諸国を手本にしながら、つまみ食い的に、制度を採り入れて行った事。 その選択は、至って、主観的なもので、時の実力者の、その時の主観が通ってしまったという事。 そんなところですか。 西南戦争の後、近衛砲兵隊が、給料の問題で反乱を起こすのですが、「ああ、当時の日本の軍人・兵隊というのは、そういう、現金な考え方をしていたんだな」と、驚かされます。 農民と武士の寄せ集めで、国に対する忠誠心なんか、ほとんど、なかったんですな。

  それではまずいというので、「軍人は、かくあるべし」という内容の、軍人勅諭が作られるわけですが、ただの文章ですから、どれだけ、効果があったかは、疑問です。 当時は、識字率も低かった事だし。 軍人勅諭が浸透し始めるのは、時代的に、もう少し後からです。 浸透したらしたで、今度は、日本の軍人・兵隊を精神論で縛りつけてしまうのですが。

  これは、私の見方ですが・・・。 薩長連合は、そもそも、「尊皇攘夷」を大義名分にして、「倒幕」をしたにも拘らず、実際には、大政奉還されるなり、「攘夷」を引っ込めて、「開国」に鞍替えしたのは、大変、節操がなかった点ですが、「尊皇」の方も、怪しくて、単に、倒幕の口実として、徳川政権以上の権威を担いだだけだったようです。 元武士階級にしてからが、忠義の対象は、旧藩主であって、新たに担いだ天皇を、どう位置づけていいのか、分からなかった模様。

  この作品を読むと、日本を、天皇を頂点とする社会に改造して行くのに、てこずった様子が良く分かりますが、その後の歴史を見ると、「一億玉砕」などという、興りたいんだか亡びたいんだか、何を目標にしているのか分からない、異常な観念世界を作り出してしまったわけで、最初の方向付けを行なった明治政府の間違いの種が、どこにあったのか検証してみるのも、一興かも知れません。


【小説帝銀事件】 約133ページ
  1959年(昭和34年)5月号から、7月号まで、「文藝春秋」に連載されたもの。

  1948年に、東京都豊島区にあった帝国銀行椎名町支店で起こった、毒殺強盗事件と、その後、逮捕された画家、平沢氏の容疑がいかに、頼りないものであるかを詳細に記したもの。

  旧日本軍の731部隊の関係者が起こした事件ではないかと疑いを持った新聞記者が、調べを進めるという体裁になっていますが、小説というには、あまりにも貧弱で、捜査資料をそのまま読んでいるような印象です。 わざわざ、タイトルに、「小説」と断ってありますが、実録物と、どう違うのか、この作品を読んだだけでは、全く分かりません。

  この事件、横溝正史さんの、≪悪魔が来りて笛を吹く≫の冒頭で使われていて、そのお陰で、現在でも、どんな事件だったのか、あらましを知っている人が多いと思います。 実際の事件の方は、一応、犯人が捕まり、起訴され、死刑判決を受けたものの、執行されないまま、逮捕から39年後の1987年に、医療刑務所で死亡したとの事。

  731部隊関係者の線は、当時、GHQが調査をしていて、関係者を押さえていたので、毒殺強盗事件の方に横車が入り、諦めざるを得なかったとの事。 しかし、そちらは、本当に横槍が入ったかどうかすら、証明できない事なので、真犯人がそちら方面かは、想像の域を出ません。

  なぜ、画家の平沢氏が逮捕されたかというと、ある人物の名刺を持っていたからですが、他に余罪があり、しかも、精神的に不安定で、嘘ばかりつく癖があったのが、決め手になったらしいです。 容疑の方は、物証に乏しく、状況証拠ばかりなのに、戦前からの自白重視刑法で取り調べられたせいで、犯人にされてしまったのだろうというのが、作者の見立て。

  真犯人が、はっきり分からない場合、容疑者の中から、アリバイがあやふやとか、動機が考えられないわけではないとか、公判を維持できる程度の材料が揃っている人物を、犯人にしてしまうという風潮が、警察や検察、裁判所にあり、その犠牲になった典型的な例ではないか、というわけです。

  最高裁まで行っているにも拘らず、死刑判決に自信がなかったのか、結局、執行できずに終わるわけですが、人一人の半生を潰してしまったわけですから、責任は重大でして、自信がないのなら、無罪にすべきだったと思います。 「疑わしきは、被告人の利益に」といった考え方が、全くできなかったんですな。 まあ、物証重視刑法に変わった今でも、そういう経緯で、濡れ衣を着せられる人は多いわけですが。

  目撃者による人相の確認や、筆跡鑑定が、いかにいい加減なものであるかが、これでもかというくらい書き込まれています。 私は、他人の顔を積極的には見ない方なので、「よく、一度見ただけで、顔を覚えられるなあ」と思っていましたが、やはり、人の記憶なんて、いい加減だったんですな。 筆跡鑑定に至っては、鑑定者の主観が最も物を言うようで、一見、科学的なように見えて、その実、でたらめもいいところなのだそうです。