7817 ≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫

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≪松本清張全集 7 別冊黒い画集・ミステリーの系譜≫

松本清張全集 7
文藝春秋 1972年8月20日/初版 2008年5月10日/8版 
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、中編3、短編3、実録3の、計9作を収録。


【別冊黒い画集】 約324ページ
  「週刊文春」に連載されたもの。

「事故」 約93ページ
  1963年(昭和38年)1月7日号から、4月15日号まで。

  運送会社のトラックが、コースを外れた所で、住宅の玄関に突っ込む事故を起こしたが、妙に理解のある相手で、賠償金は安く上がった。 ところが、間もなく、その運転手が、仕事中に、山梨県で殺され、ほぼ、時を同じくして、同じ山梨県で、興信所の女性社員が殺される。 事件はどちらも、迷宮入りしたが、その裏には、秘密があり・・・、という話。

  冒頭から出て来る、運送会社の事故担当社員が主人公かと思いきや、すぐに、引っ込んでしまい、その後も、視点人物が、ころころ変わります。 三人称で書かれた群像劇と見るべきか。 大まかに三つに分かれていて、まず、トラックの突入事故と、殺人二件の捜査の様子が語られます。 次に、時間が巻き戻されて、犯人側の視点で、犯行の経緯が語られます。 最後に、「思わぬところから、露顕する」で、締め括られています。

  大変、変わった構成ですな。 すでに、名声が確立していた、松本清張大先生だから、こういうのが通ったのであって、もし、新人が、こんなのを書いた日には、編集者から、丸めた原稿で、頭をポンポン叩かれて、「な・ん・だ?こ・れ・は? プロットの基本も知らんのか? ナメとんのか、雄鶏ゃ!」という扱いを受けるでしょう。

  とはいえ、話は面白いです。 変わった構成が、邪魔をしているという事もありません。 時間が巻き戻るところが、少し混乱しますが、死んだ人間が、まだ生きているので、巻き戻った以外に考えようがないわけで、読んでいれば、自然に分かります。 興信所の社員が調べていた相手が、大変、非常に、途轍もなく、甚だしく、意外な人物で、アイデアの切れの良さに、ハッとさせられます。

  最初の突入事故が、なぜ、コースから外れた場所で起きたのかは、誰でも気になりますが、やはり、伏線でして、後で回収されます。 賠償金について、相場の10分の1でいいという奇妙な態度も、これまた、伏線。 露顕するパートで、回収されます。


「熱い空気」 約74ページ
  1963年(昭和38年)4月23日号から、7月8日号まで。

  離婚後、一人で食べて行く為に、 派出家政婦になった女が、新しく住み込んだ大学教授の家で、その家族の問題点を探し、突つき回して、不幸の穴に突き落とそうとする話。

  知らない人がいないテレビ・ドラマ、≪家政婦は見た≫の、原作。 正確に言うと、2時間ドラマ版の、第一作の原作で、シリーズ化された第二作以降とは、直接の関係はありません。 第一作と、第二作以降とでは、主人公の名前や、家政婦紹介所の名前も異なっています。 一番違うのは、主人公の性格でして、第一作、つまり、原作の主人公には、正義感や義憤など、全くなくて、「自分が不幸だから、他人はもっと不幸になればいい」という、後ろ向きの考え方しかありません。

  テレビ・シリーズ同様、殺人事件は一つも起こらないのですが、傷害事件や、痴情事件は起こります。 傷害事件は、かなり、変わったもので、孫が祖母の鼓膜を焼いてしまったというのですから、相当には、ひどい話。 痴情事件の方は、松本作品では良く出てくる、不倫や、不倫旅行で、そちらは、ありふれています。

  チフスが小道具に使われるところは、凄い。 森村誠一さんの長編で、チフス菌をわざと拡散させる場面が出て来ましたが、こちらは、故意ではなく、自然感染で、あるホテルにいた事がバレるという使われ方なので、より、ゾクゾクします。

  テレビ・シリーズが大ヒットしたのに比較して、この原作が、あまり話題にならなかったのは、主人公の性根が腐っているせいで、ピカレスク(悪漢小説)にしては、痛快さに欠け、読者が共感を覚えてくれないからでしょう。 作者も、そう思ったのか、ラストを、因果応報で纏めていますが、そのせいで、ますます、中途半端になってしまいました。


「形」 約29ページ
  1963年(昭和38年)10月21日号から、11月18日号まで。

  山の中に高速道路が造られる事になり、用地買収が進められたが、一軒、頑強に売るのを拒む家が出て来る。 買取値を上げても、ああだこうだと理由をつけて拒み続けるので、「死体でも埋めてあるのだろう」という指摘が出て、警察が買収予定用地を掘り返すが・・・、という話。

  割と、ありふれた問題ではあるものの、これも、一応、社会派作品と考えるべきか。 犯罪あり、謎ありですが、読みながら推理できるようなストーリーではないです。 「拒んだ挙句、周囲の村人や警察を利用して、うまい事、利益をせしめる」という、痛快な話になれば、面白いのですが、残念ながら、肩透かしみたいな終わり方になります。

  「わざと、周囲から怪しまれる為に、殺人犯のように見せかけて、実は、一人も殺していない」という設定を貫いた方が、断然、気の利いた話になったと思うのですがね。


「陸行水行」 約37ページ
  1963年(昭和38年)11月25日号から、1964年1月6日号まで。

  大分県の宇佐神社に調査に行った学者が、たまたま出会った郷土史家から、「邪馬台国論争」についての、独特の学説を聞かされる。 その後、その郷土史家が、学者が渡した名刺を使って、西日本一帯で、詐欺を働いているという報告が幾つも入り・・・、という話。

  このタイトル、松本作品として、よく耳にするから、有名な話なんでしょう。 前半は、「ちょっと、文化の香り」を通り越して、邪馬台国論争そのまんま、もろ出し、作者自身が意見を言いたいが為に、短編小説の形を借りて、自説を開陳したという感じさえします。 しかし、この前半こそが、この作品の肝でして、前半だけでも、充分に面白いです。

  邪馬台国論争が、非常に危うい土台の上に立っている事が、全くの門外漢でも、すんなり、理解できます。 日本中の古代史家が、寄ってたかって、随分とまあ、不毛な論争をやっていたわけですな。 邪馬台国論争について、簡単に知りたいなら、専門に書かれた物より、この作品を読んだ方が、分かり易いと思います。 首を突っ込まない方がいいような気もしますが。 

  後半、犯罪絡みになり、最終的に死人も出ますが、別に、殺人事件ではないです。 大変、風変わりな詐欺だから、風変わりな最期を遂げても、致し方ないか。 それにしても、凄絶・壮絶だ。


「寝敷き」 約23ページ
  1964年(昭和39年)3月30日号から、4月20日号まで。

  仕事柄、高い所から、周囲をよく見ているペンキ職人が、覗きの経験を積む内に、猥談が得意になり、出入り先の夫人を籠絡するのが楽しみになる。 ある時、ちょっとした手違いで、若い女に捉まってしまうが、親の勧める堅い縁談が進行しており、何とか、若い女と手を切ろうとする話。

  猥談が得意になったというのは、話の枕に過ぎず、主人公の職業は、何であっても、成立します。 タイトルは、若い女が、スカートを、寝押ししていた事から、男の犯行が露顕しそうになるという意味。 ところがねえ。 変わったラストになるんですよ。 こんなのアリかって、思いますねえ。 逆に言うと、このドライさがあるから、松本作品は面白いわけですが。


「断線」 約66ページ
  1964年(昭和39年)1月13日号から、3月23日号まで。

  金にはセコいが、性格がチャランポランな男。 なりゆきで、小さな薬局の娘と結婚し、姓が変わるのも気にせずに、婿入りするが、妻が妊娠すると、さりげなく蒸発し、水商売の女の所へ行ってしまう。 その女と強制死別した後、別の女に誘われて、大阪へ行き、女の口利きで、製薬会社の広報部門に入社する。 ところが、この女とも、強制死別しなければならなくなり、死体をどこに埋めるか、悩んだ挙句・・・という話。

  だいぶ、なりゆき任せで、ストーリーを展開させていますな。 妻の実家が薬局で、男の就職先が製薬会社、というところだけ、伏線が張られていますが、他はもう、テキトーに繋げて行っただけという感じです。 いや、決して、つまらない話ではなく、引き込まれますし、読み応えもありますけど。

  死体を埋める場所に困って、社長の趣味の俳句に目をつけるというのは、凄い飛躍力の着想だと思いますが、そこから先は、もはや、犯罪物というより、コメディーです。 実際には、笑いはしませんが、他の感情が出て来ません。


【ミステリーの系譜】 約135ページ
  「週刊読売」に連載されたもの。 この3作は、小説ではなく、実録。

「闇に駆ける猟銃」 約61ページ
  1967年(昭和42年)8月11日号から、10月13日号まで。 原題は、「闇に駆く猟銃」。

  1938年(昭和13年)に、岡山県の山村で、22歳の男が、猟銃や日本刀で、村人30人を殺した、津山事件の経過を述べ、分析を加えたもの。

  横溝正史さんの、≪八つ墓村≫の中に、32人殺しの事件が出て来ますが、そのモデルになったのが、津山事件。 32人殺しは、≪八つ墓村≫のモチーフの一部に過ぎず、津山事件を小説にしたのが、≪八つ墓村≫というわけではないです。 しかし、≪八つ墓村≫が繰り返し、映像化されていなければ、津山事件が、今に伝わる事もなく、研究者だけが知る事件になっていた事でしょう。

  松本清張さん以外にも、この事件を実録として書いている人はいるようですが、事件そのものが、あまりにも凄絶なので、恐らく、誰が評論しても、事件の内容を超えるほどのインパクトは与えられないでしょう。 こんな事件があったという事実が恐ろしい。

  ≪八つ墓村≫の田治見要蔵は、囲い物にしていた女が、別の男の赤ん坊を生んだ上に、逃げてしまった事に激昂し、八つ当たりで村人を殺したのですが、津山事件の方は、特定の人物達に対する、深い恨みがあり、犠牲者が増えたのは、村内で血縁者が多いせいで、恨みの対象が広がったのと、計画遂行の邪魔になる者も片っ端から殺して行ったので、30人にもなったようです

  綿密な計画を立てて、武器を揃え、タイミングを見計らい、決行に及んだとの事。 一度、警察に目をつけられ、武器を没収されたにも拘らず、また買い揃え、弾丸を自作して、100発も用意していたというから、驚きます。 学校時代の成績は、トップ・クラスで、級長を務めるのが、恒例になっていたとの事。 それが、結核を患ってから、将来の展望を見失い、村人、特に、性関係にあった女達から、敬遠されるようになり、それが、動機になったのだそうです。

  結核に罹っていた事や、開放的な村の性風俗、犯人を毛嫌いしていた女達の存在など、一般常識では量れない要素があるせいで、極悪人扱いをためらう書き方がなされていますが、いやいやいやいや、それは違うでしょう。 たとえ、どんなに情状を汲む余地があっても、30人殺したら、極悪人ですよ。 30人どころか、3人以上殺したら、もう、情状なんて言っている場合ではないです。

  精神異常者であったという点も、奥歯に物の挟まったような書き方をしているのですが、それも、違う。 「精神異常者だから、こんな犯行をやらかした」と考えようとするから、「あれ? ちょっと違うかな?」と、首を捻ってしまうのであって、「こんな犯行をやらかしたのでは、精神異常者としか言いようがない」と考えれば、すんなり、腑に落ちる。 こういう事をやらかした人物の為に、精神異常という概念が存在するのです。 30人殺した人間を、精神異常者と言えないのでは、もはや、精神医学は不要です。

  一度目の武器没収の後、駐在所の巡査が、本人の所へ通って、「馬鹿な事を考えるな」と、諄々と説諭したそうですが、全く、無駄に終わります。 馬耳東風は当然なのであって、狂人が、周囲の人間の言う事なんか、聞くわけがありません。 周囲に合わせようとする能力が失われたからこそ、狂人なのですから。 逆に、まともな人間の方が、狂人の異常な考えに感化されてしまいます。 危険極まりない。

  村の女達への恨みが動機であるにも拘らず、自分が最も好いていた女には、予め、犯行を報せて、家族と京都へ逃げるの阻もうとしなかったというから、ふざけた話です。 その女も、犯人を、公然と嫌っていたんですがね。 他にも、襲撃を受ける前に、何らかの情報を得ていて、親戚の家に逃げ込み、そこの家族が殺されているのに、自分は助かったという女がいるそうですが、後々、親戚から恨まれたでしょうねえ。 それなら、よその土地へ逃げた者の方が、まだ、罪が軽いです。

  犯人の唯一の同居者で、犯人を子供の頃から、猫可愛がりしていた祖母が、最初に、斧で首を飛ばされるのですが、よく、そんな恐ろしい事ができたもの。 「一人で残すのは不憫」だから殺したらしいですが、不憫だと思うなら、犯行計画そのものをやらなければいいのです。 考えの順序が間違っている。 やはり、狂っているとしか言いようがありません。

  犯行後に、自殺するつもりでいたのは確実で、もしかしたら、無理心中を図る人間にありがちな、あの世を信じているタイプだったのかも知れません。 「残したら、不憫」という、よく使われるセリフも、同じだし。 実際には、死ななければならないのは、自分一人だけなのに、あの世があると思っていると、一人で行くのは怖いから、家族や、親友など、身近な人間を道連れにするのです。

  松本清張さんには、天邪鬼なところがあり、世間から、当然の如く、非難を浴びている者を、別の見方から検証して、「一方的に攻撃されるばかりでは、気の毒だ」と主張したがっているようなのですが、それは、違うでしょう。 犯人の動機を形成するのに、村の女達がかかわっていたのは事実ですが、女達は、別に、殺人を犯したわけではないです。 また、殺されて当然というほどの罪を犯したわけでもないです。 「女達は、殺されて当然」と思っていたのは、犯人だけで、その考え方の異常さが、動機を形成した最大の要因と見るべきでしょう。
  

「肉鍋を食う女」 約23ページ
  1967年(昭和42年)11月24日号から、12月15日号まで。

  1945年(昭和20年)に群馬県の山村で起こった、殺人・人肉食事件を中心に、他二件の人肉食事件にも触れた、実録。

  戦場では、飢餓の挙句に、死人の肉を食ったという記録があるらしいですが、この事件では、家の収入が少なくて、食べるものがなくなり、後妻が、継子の娘を殺して、料理し、家族には、山羊の肉だと言って食べさせたという点で、特殊だとの事。 夫も、後妻も、継子も、みな、痴呆だったそうで、それは、山村独特の、近親婚が遠因になっているとあります。

  仲介人の発想で、痴呆同士をくっつけて、夫婦にしてしまったというのが、呆れた話。 食糧事情が厳しい時に、痴呆同士で、生活が成り立つわけがないのであって、そんな余計な事をしなければ、こんな事件は起こらなかったものを。 仲介人というのは、誰でも彼でも、とにかく、結婚させさえすれば、自分の手柄になると思い込んでいるんでしょうな。

  殺した後妻も恐ろしいですが、夫が、自分の実の娘を後妻に殺されても、何とも感じていないようだったというのが、また、絶望的です。 痴呆だから、何が起こったかすら、分かっていなかったのでしょう。 もっとも、夫は、何か気取るところがあったのか、自分の娘を煮込んだ肉鍋には、手をつけなかったそうですけど。 それにしても、あまにも、救われないので、読んでいるこちらまで、暗鬱な気分になって来ます。 これでは、動物の方が、まだ、人間らしい。

  この事件、津山事件に比べると、単純な経緯なので、ボリュームが足りず、人肉食の他の例が、二件、オマケについています。 一つは、明治35年に、ハンセン病の特効薬として、人肉が効くという迷信を信じ、通りがかりの少年を殺して、尻の肉を切り取り、スープにして、妻と、その兄に飲ませたというもの。

  迷信も迷信、サンプルが一件しかない、とんだ迷信なのですが、治療法が分からなかった時代としては、藁にも縋る思いでやったんでしょう。 迷信ではあるものの、一応、治療の為だったわけだから、さほど、野蛮ではないです。 殺された少年やその遺族は、たまったものではありませんが。

  もう一件は、昭和10年頃の話で、まず、肉の行商をしていた妻が、村会議員の夫を殺し、その死体を処分する為に、解体して、牛肉に混ぜて売ってしまったという噂が立ったという事件。 ただし、これは、本人は食べていませんし、噂通り、お客が食べていたとしても、人肉だと知らなかったわけだから、更に、野蛮度が下がります。


「二人の真犯人」 約49ページ
  1967年(昭和42年)12月22日号から、1968年月2日16号まで。

  大正時代に起こった殺人で、自分が犯人だと自白する人間が二人現れ、それぞれ、起訴されて裁判が行なわれたという、奇妙な事件の実録と、その分析。

  この作品では、実録部分よりも、その分析が肝になっています。 大正時代の裁判記録が、よく残っているものだと思いますが、共犯でない犯人が二人自白して、二人とも起訴されたという、非常に特殊な例だからでしょう。 殺人事件そのものは、別段、特殊ではなく、通り魔に近い衝動的な動機で、殺害方法も絞殺した後、ナイフで傷をつけたという、ありふれたもの。

  小説ではないので、ネタバレを気にせずに書いてしまいますが、痴情の縺れが動機と見做されて最初に逮捕された男が、実は無実で、警察が、先入観で犯人と決め付け、留置所に間者を送り込んで、「拷問を逃れたかったら、とりあえず、自白してしまえ。 裁判になってから、覆せばいい」と入れ知恵した事から、自白したのだろうという分析がなされています。

  証拠になった腰巻も、その容疑者が行ってもいない所から出ており、警察による、辻褄合わせの捏造だったとしています。 大変、説得力があり、たぶん、その通りだったのだろうと思わせます。 もっとも、警察側がやったと思われる行為にも、証拠がないので、確実にそうだとは、未来永劫、言い切れないわけですが。

  真犯人は、強盗や殺人を何件も犯している凶悪犯で、どうせ、死刑は免れないから、無実の罪で裁判にかけられている者を助けてやろうと、自白したもの。 こちらの証言にも、他の人間の証言との喰い違いがあるのですが、まだ、無理が少ないです。 動機が、あまりにも軽いですが、前科がごろごろある凶悪犯なら、さほど、不思議でもありません。

  被害者の妹の証言に、最初に逮捕された男への憎悪・嫌悪から出た嘘が混じっていると分析しているのは、興味深い。 容疑者以外にも、嘘を言っている者がいると、事件の真相は、大変、分かり難くなります。 推理小説で、嘘を言う証言者が出て来ると、その小説そのものが成り立たなくなるほど、影響が大きいですが、それは、実際に起きた事件でも同じ事です。