運動登山すべきか。医師も死にたくはない。

  快晴。 若干、風あり。


  午後、香貫山へ。 手作りマスクを着用。 平地では着けて、登りに入ったら、外しました。 マスクは、耳ゴムの部分を手に持って、前方に注意しながら歩き、向こうから人が来たら、なるべく、相手に見られない内に、マスクを着けるというパターンを取りました。

  マスクをして登っている人もいれば、していない人もいて、半々くらい。 子供連れもいましたが、大人はともかく、子供は一人も、マスクを着けていませんでした。 子供からうつされるケースは、ほとんど、ないらしいと聞いたので、あまり、心配はしていませんが、やはり、無マスクで、ベラベラ喋っている様子を見ると、怖いですな。

  無マスクの高齢男性で、すれ違う時に、わざと咳をする者あり。 高齢なのに、体力を必要とする登山に来ているわけで、感染者である可能性は低いですが、やはり、気分のいいものではありません。 マスクをしている者に対する嫌がらせか、はたまた、支配欲の表出で、他者が近づくと、わざと咳をする輩の類いか。

  こんなリスクを冒してまで、運動登山をする必要があるのかどうか、悩んでしまいますな。 何とか、感染の危険を感じないで、運動する方法はないものか・・・。


  またまた、ワイド・ショーを見ていて思った事ですが、どうも、実際に診療をしている医師の中に、「日本の対策は、医療崩壊を避けるという点で、現状、うまく行っている」と言う人が、ちらほら、いるようです。 この人達にとっては、感染者や死者が増える事よりも、医療機関がパニックに陥らない事の方が、重要な様子。

  なぜ、そういう見解が出て来るのか考えてみたんですが、たぶん、この人達は、命を懸けてまで、医療に献身しようとは思っていないのだと思います。 考えてみれば、それは、ごく自然な事で、全く以て、無理もない。 とっくの昔から、個人主義の時代ですから、「他人を助けて、自分が死んでしまって、そんな人生に何の意味があるのか?」という考え方は、すんなりと、腑に落ちます。

  中国では、専ら、武漢や湖北省で、決死の覚悟で治療に当たっていた医療関係者らが、自分達も感染して、命を落として行ったわけですが、それは、結果的にそうなったに過ぎず、別に、死にたかったわけではありません。 医療関係者だって、死ぬのが嫌な事に変わりはないです。 それと同様の献身を、日本の医療関係者にも期待しろというのは、「死ぬのを覚悟して、やれ」と言っているようなもので、強要罪・脅迫罪に当たるのではないかと・・・。

  そこのところを考えると、あまり強く、医療関係者を責めるのも、酷な感じがしますねえ。 医師も、看護師も、その他の医療スタッフも、自分が死ぬ危険性があるのを承知して、その職業に就いたわけではないのですから。 その点、警察官や消防士、自衛官などと、同じ扱いはできません。

  それが分かっても、尚、ウィルス検査の数を抑えて、認定感染者を増やさない方針は、間違った道だと思いますけど。 イタリアでは、大掛かりな地域封鎖に乗り出しましたが、諸外国が、中国方式で、感染拡大の封じ込めに成功して行ったら、日本だけ、いつまで経っても、隠れ感染者だらけという、世界医学史の失敗例に残ってしまうような、最悪の事態になり兼ねません。