7334 ≪悪魔が来りて笛を吹く≫

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≪悪魔が来りて笛を吹く≫

角川文庫
角川書店 1973年2月/初版 1980年12月/36版
横溝正史 著

  私が、所有している本。 1995年9月頃に、古本屋を回って買い集めた、横溝正史作品の文庫、十数冊の内の一冊です。 当時は、チェーン店はなくて、みな、昔ながらの古本屋でした。 その後、潰れてしまったところもあれば、まだやっているところもありますが、もう、そういう、ジャングルみたいな古本屋に入って行く気力がありません。

  この本、カバーに折れ目があったり、本体の焼けがひどかったりと、かなり、くたびれていますが、まあ、読めればいいです。 カバー絵は、杉本一文さんのものですが、角川文庫・旧版、≪悪魔が来りて笛を吹く≫のカバー絵は、前期・中期・後期、3種類ありまして、この本のは、たぶん、後期のもの。 中期の絵が、一番、迫力があります。

  ≪悪魔が来りて笛を吹く≫は、1951年(昭和26年)11月から、1953年11月まで、「宝石」に連載された、金田一耕助物の、長編小説です。 2年以上かかっているわけで、よくぞ、辻褄を合わせたものだと、驚き入る次第。 当時、雑誌で読んでいた人達は、あまりにも長く続くので、ダレてしまっていたかもしれませんな。


  1947年(昭和22年)、天銀堂という宝石店で、店員達が青酸カリを盛られ、宝石を奪われる事件が起こる。 その容疑者とされた椿英輔・元子爵が、取り調べを受けた後に、自殺する。 ところが、椿邸に住む遺族が、生きている英輔氏の姿を目撃し、彼の生死を占おうとした席で、砂盤の上に火炎太鼓の模様が浮かび上がり、その深夜、同居していた、玉虫・元伯爵が殺される。 英輔氏の娘、美禰子から依頼を受けた金田一が、屋敷に同居する、椿家、新宮家、玉虫家、および、使用人達を調べ、ある人物達の忌まわしい過去を明らかにする話。

  こんな梗概を書くまでもなく、テレビ・ドラマや映画で、大筋を知っている人は、多いと思います。 横溝作品をシリーズで、ドラマ化する場合、大体、この作品も、含まれますから。 有名どころの横溝作品に多い、地方の旧家が舞台ではないというところが、特徴的で、印象に残ります。

  なぜ、今回、この本を読み返したかというと、2018年の暮れに、BS12で、古谷一行さんが金田一を演じる、「横溝正史シリーズ」の≪悪魔が来りて笛を吹く≫が放送されたのを見たからです。 私は、1977年の最初の放送の時には、中学生でしたが、深夜まで起きていて、それを見ました。 覚えているところもありましたが、ほとんどは、忘れていました。

  以下、ネタバレ、あり。

  ドラマでは、放送5回の内、1回を、まるまる、須磨・明石・淡路島に当てていましたが、小説の方でも、同じくらいの割合が当てられています。 この小説、一番面白いのが、須磨・明石・淡路島の部分でして、捜査に出向いた金田一が、長旅の疲れでグースカ寝ている間に、犯人の共犯者が先回りをして、最も重要な参考人を殺してしまうという、そこが、最大のゾクゾク・ポイントになっています。

  もっとも、金田一が無能探偵ぶりを発揮したというわけではなくて、犯人の共犯者が、犯人から情報を得ていて、まっすぐ、参考人の元に向かったのに対し、金田一達は、誰を訪ねていいかも分からないような状態で須磨に到着し、そこから捜査して行って、淡路へ向かったのですから、一日遅れ程度で追いついたのは、むしろ、よくやったと誉められるべき。

  密室トリックが使われていますが、物理的なものです。 密室の作り方が、二段構えになっていて、金田一が最初に説明した方法と、犯人が実際にやった方法に違いがあるのですが、いずれも、ゾクゾクするような面白いものではありません。 そもそも、密室になった原因にしてからが、計画的なものではなく、偶然そうなっていたのを、犯人が利用しただけなのですから。

  密告文を打ったタイプ・ライターの、英式と独式の違いですが、そこも、ゾクゾク・ポイントではあるものの、ちょっと、弱い感じがします。 小説の方では、YとZを打ち間違えた所を、手書きの文字で訂正してあった事になっていますが、犯人が間違いに気づいていたのなら、打ち直すか、別のタイプ・ライターを使うかしたのでは? 電蓄を用意できるなら、タイプ・ライターだって、見つけられそうなもの。 何も、美禰子の機械に拘る理由はありますまい。

  ドラマでは、犯人が訂正してなかった事にしていますが、やはり、おかしいと思ったからでしょう。 しかし、YとZが入れ代わっていたら、ローマ字文を普通に読むのは不可能ですから、金田一でなくても、警察が気づきそうなものです。 どう弄っても、不自然になってしまう、弱点ですな。

  ストーリーですが、ドラマの前半では、原作に、ほぼ忠実に、映像化がなされていますが、後ろの方に行くと、変わって来ます。 目賀博士は、小説では、最後まで生きていますが、ドラマでは、第4回で、殺されてしまいます。 変更の理由として想像できるのは、鎌倉の別荘の場面を省いたからでしょう。 なぜ省いたかというと、ただ、あき子夫人を殺させる為だけに、鎌倉へ舞台を移したりすると、煩雑になってしまうからだと思います。

  椿邸内で、あき子夫人が自殺するようにした場合、目賀博士と信乃の、どちらか一人は、あき子夫人についているのが自然なので、邪魔になります。 そこで、目賀博士の方を先に殺してしまったのでは? その上で、信乃が、謎解きの場に顔を出すようにすれば、あき子夫人を一人にできるわけだ。 ドラマ化する際に、いろいろと考えたんでしょうねえ。

  一方、小説の方で、目賀博士が最後まで生きている理由は、目賀博士も、犯人候補の一人なので、先に殺すわけには行かなかったんでしょう。 犯人は、かなり力の要る行為をやっていて、印象的に、男である可能性が高いのに、目賀博士が先に脱落してしまったら、椿邸内に残る男は、三島東太郎と、新宮一彦だけになってしまい、読者に、消去法で犯人がバレてしまうのを嫌ったのだと思います。

  ちなみに、映画版や、それ以降に作られたドラマでは、鎌倉の別荘場面が入れられていますが、やはり、舞台転換が余分な感じがします。 原作に従い、金田一による謎解きの場面をクライマックスにするか、それとも、あき子夫人が死んで、犯人の目的が達せられる場面をクライマックスにするか、そこが、この作品の映像化で、最も迷うところなのでしょう。

  犯行の動機である、過去の因縁が、この話の根幹部分なのですが、近親相姦なので、読んでいて、気分のいいものではありません。 横溝さんがよく使うモチーフである性倒錯の方は、今では、倒錯という言葉が当て嵌まらないくらい、市民権を得ましたが、近親相姦は、いつまで経っても、社会で許容される事はないでしょう。 それが、この作品のメイン・モチーフなのですから、この気分の悪さも、いつまで経っても、変わらないわけだ。