増える家事、掃除機考、≪フォーリング・ダウン≫、≪マクロスΔ≫


  父に連れ添って、病院へ。 その帰りに、スーパーで買い物。 少しずつ、自分の為に使える時間が減って行きます。

  その後、昼飯の用意。 今日は、ハヤシライスのレトルトで、簡単に済ませました。

  午後は、寝て過ごし、夕飯の前に、母の作業を見学して、豚肉の炒め方を覚えました。 しかし、できるようになっても、食材が高くて、自分で買って来て作るのには、抵抗がありますな。


  自室用の掃除機を買おうか買うまいか、考え中。 自室でしか使わない事を考えると、スティック型で充分と思うのですが、絨毯敷きなので、吸い込み力が弱いと、「ただ、撫でてるだけ」になりかねません。 で、一応、横型と両方、吟味してみて、買う機種も大体決めました。 あとは、スティック型にするか、横型にするか、そもそも買わないかの三択になります。

  買わない場合、今まで通り、一階から、横型を運び上げるか、母の部屋にある、ツインバードのスティック型を運んで使うかのどちらかになりますが、どちらも、あまり、気が進みません。 横型掃除機を持って、階段を上がるのは、やった事がある人なら分かると思いますが、それだけで、重労働です。

  母の部屋のスティック掃除機は、カタログ・ギフトで貰った物だとかで、吸い込み仕事率150Wの、割と強力なタイプですが、頼もしいのは数字だけで、実際に使ってみると、呆れるほど、ゴミを吸ってくれません。 たとえば、消しゴムのカスが落ちていたとして、その上に吸い込みノズルを置き、取り除けると、カスは、そのまま、そこに残っているという有様。

  これを使った経験があるから、スティック型を買うのにためらいがあるのです。 これなら、洗面所に置いてある、マキタのハンディー型の方が、吸い込みがいいです。 ただし、ハンディー型で、床一面を掃除するのは、ちと無理がありますし、充電式なので、思い切って使えません。

  ・・という風に、追い込まれて行くと、横型が、一番、無難という事になってしまうのです。 横型なら、最低クラスでも、吸い込み仕事率が、200ワットはありますし、手に持つ部分が、本体の重さから解放されているので、床に当てる時に、角度や、力の加え方を加減し易いという利点があります。 スティック型の吸い込みが悪いのは、本体の重さで、吸い込みノズルにかかる力の大きさと角度が決まってしまっている点が、大きく関係していると見ています。

  なら、横型を買えばいいわけですが、そこに、常識が顔を出し、「週に一度、自室を掃除する為だけに、わさわざ、横型を買うかね?」と、思ってしまうのです。 4980円ですから、そんなに高い買い物ではないですが、ここのところ、何かと出費が続いている事もあって、ためらってしまうんですな。 別に急ぐわけではないので、まだ、しばらく、検討します。



≪フォーリング・ダウン≫ 1993年 アメリカ
  マイケル・ダグラスさん主演、ロバート・デュバルさん助演。 妻に離婚された上に、会社をクビになってしまった男が、娘の誕生日に、強引に訪ねて行こうとして、ひどい渋滞に嵌まった上に、コンビニで電話代を両替しようとして断られ、とうとう、ブチ切れて、気に喰わないやつらを、行き当たりばったりに、叩きのめしたり、殺したりながら、妻子の家へ向かう話。

  面白いです。 「別に、映画なんて、見たくない」という気分の時でも、見始めると、最後まで見てしまいます。 だけど、主人公の行動に、倫理的な問題があるので、応援していいのか、批判すべきなのか、どっちつかずの気分で見続ける事になります。 この主人公がキレた気持ちは分かりますし、こんな風に、やりたい放題やれば、スカッとするだろうとは思うのですが、実際にやったら、やはり、犯罪なわけです。

  ロバート・デュバルさんが演じている、引退寸前の刑事が、同僚や上司から、とことん軽んじられているのは、見ていて、不愉快なところ。 アメリカでは、年長者を敬う習慣など、微塵もないようで、まるで、子供以下の扱いをしています。 自分自身が、いずれ、そういう目に遭う事になるとは、想像もしていないんでしょうか?

  この映画を見ていて、一番強く感じるのは、アメリカ社会が、人と人との関係という基礎的な部分で、グスグズに壊れてしまっているという事ですな。 ただ、もう、四半世紀も前の映画ですから、今はどうなっているのか、分かりません。



≪マクロスΔ≫
  不愉快な話ですなあ。 今までのマクロスでは、地球人の他星系への進出を、「開拓」という解釈で通して来たのですが、この作品では、「侵略」という見方が取り入れられていて、それが、話を暗くしているのではないかと思います。 しかも、主人公の側が侵略者だから、どうにも、胸糞悪い。

  人間が精神を乗っ取られる、「バール化現象」が、ウィンダミア側のやっている事なら、歌で、バール化を食い止めるより、地球側が、ウィンダミア星系への侵略をやめ、撤退すればいいだけの話ではないですかね? 侵略をやめたくないから、ワルキューレに歌わせているわけですが、その発想そのものが、下司で、野蛮で、およそ、非文化的です。

  また、ワルキューレの面々が、自分達が侵略の手駒に使われている事に気づかないらしいのが、愚かしくも、醜い。 ヒロイン以外は、まるで、キャラが描きこまれていないのですが、この連中をアイドルと呼ぶには、あまりにも、魅力がなさ過ぎる。 ただ、頭数を揃えただけという感じで、今日日の集団アイドルをよく写していると言えば言えます。

  ヒロインが、ウィンダミア出身で、ウィンダミア側から、「裏切り者」呼ばわりされ、実際、その通りなんですが、「食べ物を粗末にしてはいけない」などと、まるで関係ない主張ではぐらかしているのは、卑怯千万。 個人の人生ですから、確固たる考えがあって、地球側につくというのなら、それはそれでいいんですが、そんな深い事を考えているようには見えません。 たーだ、銀河アイドルになりたいだけなんじゃわ。 こんな低劣なヒロインでは、共感しろという方が無茶です。

  主人公がまた、何を考えているのか、分からない。 侵略者呼ばわりされても、相手に対する反発心しか感じていないようですが、自分が侵略者側で戦っている事を分かっているのかいないのか、分かっているくせに、「侵略の何が悪い」と開き直っているのか、よく分かりません。 ケイオスの他のメンバーは、開き直っているようですが、それもまた、人間としてどうかと思いますねえ。 結局、侵略してるんだろう? そんな人生に、よく価値を感じられるねえ。 強盗殺人犯と、やっている事は、全く同じなのですが。

  そういう事は承知の上で、話を作っているのかもしれませんが、マクロスの場合、「プロトカルチャー」というベースの上に、物語世界が構築されているので、「侵略」の概念を入れてしまうと、それを壊してしまう事になりかねません。 他のマクロス作品より、テーマが深刻というより、逆に、テーマが狭小化してしまっているのです。

  そして、相変わらず、曲は悪いです。 つくづく、菅野よう子さんが、飛びぬけて優れていた事を、思い知っている次第。 もっとも、よしんば、曲が良かったとしても、侵略者が、侵略の為に歌っているのでは、聴く気になりませんが。